◆旧東海道_沼津-蒲原2018年06月15日

2018年6月8日(金)曇り、9日(土)晴れ

昨年の秋に旧東海道の箱根関所から沼津まで歩いたが

http://slowly-walker.asablo.jp/blog/2017/09/22/8681622

その続きとして、今回は沼津から蒲原まで歩いた。

宿場名でいうと、沼津宿-原宿-吉原宿-蒲原宿。

 

8日は、JR沼津駅を9時15分に出発し、JR吉原駅に

13時45分に到着。

9日は、JR吉原駅を7時15分に出発し、JR蒲原駅に

12時15分に到着。

両日で、休憩を含めて、歩行時間は合計9時間30分だった。

  

(1)沼津城本丸跡 【9:26】

ここから、旧街道に入る。

(2)沼津宿の道標【9:32】

この道標は「夢舞台・東海道道標」というもので、2001

年の東海道四百年祭の時に、 静岡県内22宿場への案内と

して随所に建てられたものだそうだ。

さすがに17年前だけあって木製部分の痛みが激しい。

(3)出口町見付外【9:40】

これ以降、元は国道1号線だったという県道163号を、

ただひたすら歩く。

旧東海道らしい雰囲気はまったくなく、めだった史跡も

ない単なる一般道の歩行で、さすがに面白みには欠ける。

 

そこで、途中で、隣接する片浜公園をしばらく歩くこと

した。

ウォーキングとしては、絶対にこの方がおすすめ。

    

片浜公園の松林

海岸線には防波堤があったが、そこから見える景色が次

写真。

砂浜の清掃が行き届いていないのが少し難点だが、展望

はいい。

今回は旧東海道を歩くのが目的なので、しばらくしてから

殺風景な県道に戻った。

県道には次のような標識がたまに見られる。

(4)道標【10:22】

片浜駅の手前に古墳があったので、少し立ち寄った。

(5)神明塚古墳【10:40】


(6)道標【11:24】

(7)原宿の道標&高札場【11:25】

(8)一里塚跡【11:45】

字が消えかけていて読みづらいが、ここに一里塚があっ

たと思われるが、現在は何もない、面影もない、という

ことが書かれている。

 これ以降、史跡はほとんど見当たらず、標識のみが
 見られた。

(9)道標【12:53】

この道標に「間宿」という表示があったが、間宿(あい

しゅく)とは、宿場と宿場の間に出来た休憩のための

施設で、宿場間の距離が長い場合や峠越えなどがある場

合に、休憩のために出来たもの。

ただし、宿場としては幕府に公認されていないため、

宿泊は認められていなかった、とのこと。

 

(10)道標【12:57】

(11)道標【13:01】

(12)昭和放水路、増田平四郎碑、道標【13:06】



(13)道標【13:20】

この後、いささか天候が怪しくなってきたので、吉原駅

【13:45】で8日のウォーキングは終了にした。

(その後、本当に小雨が降り出してきて、夜中には落雷

 が轟いていた。)

   

      

翌9日、吉原駅を7:15に出発。

 (1)道標【7:19】
 (2)道標【7:25】
(3)道標【7:29】
 (4)名勝左富士【7:31】

東海道を東から西に行くとき、富士山 は右手に見えるが、

この辺りは松並木の間から左手に見えることから「左富

士」と呼ばれているとのこと。

(5)馬頭観音菩薩碑【7:35】

(6)平家越えの碑【7:38】

1180年の源平の戦い『富士川の合戦』で平家軍が陣を

構えた(と思われる)場所。

旧東海道とは直接関係ないが、歴史上のエピソードとして

面白い。しかし、碑があるだけで、当時のものが何も

残っていないのは、やはり物足りない。


(7)東木戸跡&八坂神社【7:44】

この後、吉原本町通り商店街を通ったが、当日は、吉原

祇園祭が行われるとのことで、多くの屋台が道の両側で

開店の準備をしていた。

(8)間宿本市場【8:05】
 道標には「吉原宿 西木戸跡 富士山村山道起点」とも

書かれてある。
 後日調べたら、村山道(むらやまみち)は、富士山信仰

の拠点である村山の興法寺(現在の村山浅間神社)を

東海道から目指すために、江戸時代後期に設定された

ルートだそうだ。

(9)東海道跡の碑【8:07】

マンホールの蓋【8:17】

浮世絵風の図柄が目を引く。(下の波がキノコに見える?)

(10)道標【8:18】

(11)道標【8:19】

(12)蓼原(たではら)の道祖神【8:24】

民家の塀の間に挟まれていた。

帽子をかぶった形はめずらしいと思う。

 

道祖神(どうそじん、どうそしん)は、害虫・疫病・悪

などの災厄の侵入を防ぐ結界・村の守り神として、集

の境や村の中心、村内と村外の境界や道の辻、三叉路

などに主に石碑や石像の形態で祀られているもので、古

事記にも登場する古い神様。

別名を「さえの神」ともいい、地元の人たちは「袂(たも

)塞神(さえがみ)」と呼んでいるとか。

(13)間の宿本市場の標識【8:31】

(14)鶴芝の碑【8:34】
 ここから眺めた冬の富士が、鶴が富士の中腹で舞っている

ように見えたことからこの名がついたとされている。

京の画家蘆州が鶴を描き、江戸の儒者亀田鵬齋が賛を寄せ

たものを、文政3年(1820)に土地の人々が碑として建てた。

(15)道標【8:36】
 道路の中央分離帯のところにあった。

(16)間の宿本市場の道標【8:39】

(17)一里塚の碑【8:41】

(18)札の辻跡の道標【8:45】
 札の辻(さつのつじ)は、街道や宿場町など往来の多い

場所に、高札(こうさつ:法令などを公示する掲示板)

を立てた道や辻のこと。

(19)富士川の道標【8:57】
 この裏側には「間宿本市場」と記されてある。

(20)道標と常夜灯【9:15】

常夜灯の前に「花立て」があるのは初めて見た。

  

(21)富士川渡船場跡【9:26】

富士川の手前にある水神社(すいじんじゃ)の入口にある。

隣に「富士山道」の碑があるが、富士山を目指すものは、

ここで東海道からはずれ、富士山本宮浅間神社に向かった

そうだ。

(22)富士川橋【9:34】

昔は渡船場から船で渡った場所。

富士川を渡ると、間宿岩淵。
 しばらくは道幅も狭く、旧東海道っぽい。

(23)秋葉山の常夜灯【9:41】

道筋にいくつかみられた。

(24)常夜灯【9:47】

(25)一里塚跡&間宿岩淵の道標【9:57】

(26)中之郷の道標【10:12】

(27)蒲原宿の一里塚跡【10:44】

案内板には、現在は一里塚としての当時の面影はまった

くない書いてあった。

(28)北条新三郎の墓【10:47】

北条新三郎は蒲原城の最後の城主。

1569年に武田軍の攻撃にあい落城。

旧東海道から少し入ったところで、洗濯物の干してある

民家の庭の横の細い道を登っていくと竹林の中にあった。

(29)東木戸、常夜灯、道標【10:52】

(30)馬頭観音供養石塔【11:42】

(31)塗り家造りの家【11:43】

塗り家造り(ぬりいえづくいり)は、なまこ壁が特徴的

旧商家の建物。

 

なまこ壁とは、壁面に平瓦を並べて貼り、「目地」と呼

ばれる継ぎ目の部分に漆喰をかまぼこ型に高く盛り上げ

て塗る、日本伝統の壁塗り様式の一つ。

 

写真では道路の反対側(左中)にも同様の建物が見られ

る。

 

今回の行程のなかでは、このあたりが一番旧東海道の面

影が感じられるところだった。

(32)本陣跡【11:45】

(33)旧五十嵐歯科医院の建物【11:49】

大正時代の洋館で、外観は洋風なのに内部は町屋造りの

珍しい建物とのこと。

この後、蒲原駅まで歩き、今回はそこで終了とした。

  

1日目(沼津-吉原)は、単なる旧国道1号線歩きのよ

うでイマイチだったが、2日目(吉原-蒲原)は旧街道

の面影も感じられた。

 

JR東海道線だと沼津駅-蒲原駅間は30分。そこを

9時間以上掛けて歩いたわけで、それなりに興味深い

ウォーキングだった。


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