◆旧甲州街道_日野-西八王子 ― 2021年10月14日
2021年10月11日(月)晴れ
甲州街道の日野と西八王子間を歩いた。
10:20に日野駅をスタート。
(1)庚申塔【10:24】
(2)日野自動車本社工場【10:38】
(3)一里塚跡【10:46】
道路わきにあった蔵
(4)高倉稲荷神社【10:58】
享保3年(1719年)に高倉新田の鎮守として創建。
写真の左側に少し映っているのは境内にある「火の見櫓」。
写真の左側に少し映っているのは境内にある「火の見櫓」。
(5)日枝神社【11:35】
(6)大和田橋【11:50】
(7)一里塚祉【11:59】
(8)永福稲荷神社【12:00】
(9)市守神社【12:08】
(10)八日市宿跡碑【12:34】
(11) 荒物加島屋(城所莊藏商店)【12:41】
江戸時代から続く蔵造りの荒物店「加島屋」。
この店蔵が建てられたのは明治20年とのこと。
江戸時代から続く蔵造りの荒物店「加島屋」。
この店蔵が建てられたのは明治20年とのこと。
(12)三年坂の標石【12:48】
後日調べたら、ここは多賀神社に向かう坂道だったそうだ。
坂の名は坂下にあった子育て地蔵(別名車地蔵)にちなみ、
後日調べたら、ここは多賀神社に向かう坂道だったそうだ。
坂の名は坂下にあった子育て地蔵(別名車地蔵)にちなみ、
安産や子育てを願う産寧(さんねい)から名付けられたと
いう。
また、「三年坂で転ぶと三年のうちに死ぬ」という言い
また、「三年坂で転ぶと三年のうちに死ぬ」という言い
伝えもあったという。
(他の資料では、ここでころんでも三年たてば治るので
(他の資料では、ここでころんでも三年たてば治るので
三年坂と云った。というのもあった。)
追分交差点
(13)追分道標【12:55】
「左 甲州道中高尾小道」「右 あんげ道」と刻まれている。
「あんげ道」とは案下道と書き、現在の陣馬街道。
「あんげ道」とは案下道と書き、現在の陣馬街道。
(14)了法寺(りょうほうじ)【12:57】
入口に設置された美少女イラスト看板から「萌え寺」とし
入口に設置された美少女イラスト看板から「萌え寺」とし
ても知られる。
祀られている「新護弁財天」が音楽・芸術の神であること
祀られている「新護弁財天」が音楽・芸術の神であること
から、檀家の孫である広告企画会社社長の紹介により、美
少女イラストによる案内看板を製作したという。
住職は最初見たときは愕然したというが、家族や檀家に相
談したところ「かわいいからいいんじゃない?」と特に反
対もなくあっさり決まったという。
(15)八王子千人同心屋敷跡記念碑【13:04】
家康は、甲府の元武田家の家臣とその配下の同心による武
士団を、地域の治安維持を主な目的として八王子に移した。
これが千人同心のはじまり。
(同心とは江戸幕府の下級役人。)
組の「頭」は現在の千人町周辺に住み、同心たちの多くは
組の「頭」は現在の千人町周辺に住み、同心たちの多くは
周辺の村に住んで、武士としての役目を勤める時以外は、
農業をして生活をしていたという。 (16)興岳寺(こうがくじ)【13:12】
(17)西八王子駅東交差点【13:22】
今回は予定通りここまでとした。
休憩も含めた歩行時間は、3時間2分だった。
駅近くにあった千人同心のタイル
ひとつだけだが、今回見つけたマンホールの蓋を示す。
都の指定無形文化財でもある「八王子車人形」がデザイン
されているもの。
「車人形」とは、幕末に多摩地方で始まった郷土芸能で、
「車人形」とは、幕末に多摩地方で始まった郷土芸能で、
ろくろ車という3個の車輪がついた箱型の車に腰をかけて、
一人の人形遣いが一体の人形を操る、特殊な一人遣いの人
形芝居。
以上
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