◆旧甲州街道_府中-日野2021年10月07日

2021年10月4日(月)晴れ

 旧甲州街道の府中から日野間を歩いた。

 行政区分としては、府中市、国立市、立川市、日野市

 の4つを横断することになる。

 10:10に府中本町駅に到着。そこからスタート。

 (1)大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)【10:17】

 府中とは、律令時代に武蔵国の国府(今の県庁)が置か

 れたことに由来し、大國魂神社の門前町として発展した。

 (2)府中町道路元標【10:24】

 大國魂神社の正面入口の脇にあった。

 大正9年に設置されたもの。

 (3)ケヤキ並木馬場寄進碑【10:25】

 万葉の歌碑もあった。

 (4)神戸(ごうど)碑【10:28】

 同様の形態の案内板がこのあといくつかあったが、

 いずれも書かれている文字が非常に読みづらくて残念。

  

 ちなみに、神戸(ごうど)は、現在の府中市宮西町

 二丁目の旧甲州街道沿いの集落のこと。

 番場宿(項(7)参照)に属しており、この地に郡家

 (こほど、ぐんけ)があったことにより、それが転訛

 してゴウドとなった。ということが書かれてあった。

 (5)高札場&道標【10:31】

 (6)札ノ辻(ふだのつじ)、問屋場跡(中久本店)

【10:32】

 (7)番場宿&番場公園【10:34】

 府中宿は府中三町「番場・本町・新宿(しんしゅく)」

 によって構成されていたが、その中の番場宿の記念碑。

 

 (8)鹿島坂碑【10:36】

 (9)高安寺【10:41】

 足利尊氏(1305-1358)が、元々この地に

 あった市川山見性寺を再興し、龍門山高安護国禅寺と

 号したのがはじまりとされている。

 尊氏が改名する前の高氏から名づけられたとされて

 いるそうだ。

 (10)片町碑【10:44】

 番場宿に属している街道沿いの集落で、北側の片側

 だけが発達したことに由来。

 (11)弁慶坂碑【10:45】

 (12)弁慶橋標石&石橋供養塔【10:48】

 (13)坊屋の坂【10:48】

 非常に読みにくいが、「棒屋」と呼ばれる家があった

 ため、そのように呼ばれるようになったということ。

 (14)本陣門【10:56】
 特に何の掲示もなかったが、府中宿矢島本陣の表門を

 移築したものだそうだ。

 (15)常夜灯【11:03】

 (16)本宿碑【11:06】

 (17)武蔵府中熊野神社古墳【11:08】
 飛鳥時代の七世紀中頃に築造された古墳。
 四角い墳丘(ふんきゅう)の上に丸い墳丘が重なった

 の上円下方墳で、この形は全国的にも非常に希少な形。
 石が葺ふかれている上円下方墳の中では最大規模であ

 り、もっとも古いものとのこと。

 傍には「内藤道」の石碑もあった。

 (18)獅子宿碑【11:21】

 (19)旧本田家住宅【11:21】
 本田家は、代々地主・名主として、また地域に貢献

 する医者、文人書家として活躍。
 また、新選組の土方歳三が本田家の親戚筋にあたり、

 近藤勇とともにこの家を度々訪れていたという。
 この建物は江戸中期のものであり、東京都の民家と

 しては最古クラスで、東京都指定有形文化財。

 (20)常夜灯【11:23】

 (21)関家かなどこ跡【11:25】

 (22)谷保天満宮【11:29】

 (23)地蔵尊【12:06】

 (24)潤澤学舎(じゅんたくがくしゃ)跡【12:08】

 (25)馬頭観音【12:09】

 (26)常夜灯【12:13】

 (27)五智如来(ごちにょらい)【12:17】

 (28)青柳地蔵堂&常夜灯【12:25】

 近くに馬頭観音や石橋供養塔もあった。

 (29)道標【12:42】

 (30)旧甲州街道掲示板【12:44】

 (31)道標【12:47】

 (32)道標【12:48】

 (33)日野渡し場跡【12:49】

 

 向かい側に馬頭観音もあった。(写真の左の小さな碑)
 右側は何の碑か不明。

 その後、すぐ近くの多摩川の土手に上る。

 土手からの眺め。

 既に河原には多くのススキが見られる。

 (34)立日橋(たっぴばし)
 立川-日野間で、大正15年までは橋がなく「日野の

 渡し」が使われていた。

 (35)日野渡船場跡【13:00】

 日野市に入る。

 道端に、旧甲州街道の資料がたくさん掲示してあった。

(個人的に掲示したのか?)

 (36)東の地蔵【13:14】

 道標

 (37)有山家【13:18】
 有山彦吉氏を筆頭にした有志が明治15年(1882

 年)に設立した元日野銀行の建物。
 明治の日野宿大火や、関東大震災を経て、昭和初期頃

 に現在の人造石洗出し仕上げの意匠に改修。
 なお、有山彦吉氏は土方歳三の甥っ子だったそうだ。

 (38)高幡不動道標【13:21】
 高幡不動尊金剛寺は関東三大不動(成田山新勝寺、埼

 玉県加須市總願寺)の一つで、土方歳三の菩提寺。

 (39)日野宿交流館【13:22】

 (40)日野宿本陣・脇本陣跡【13:22】

 (41)高札場・問屋場跡【13:24】

 (42)渡邉家(蔵)【13:27】
 説明板の記載が非常に読み辛い。

 「中村屋」という屋号で、味噌、醤油、酒を取り扱う

 万屋(よろずや)の店蔵として使われていたそうだ。

 

 (43)金子橋跡【13:28】

 (44)八坂神社【13:29】

 (45)道標【13:31】
 個人的に作られたもののようだ。

 (46)上宿の辻公園【13:32】

 (47)道標【13:34】

 (48)道標【13:35】

 (49)西の地蔵【13:38】

 予定通りここまでで終了。
 歩行時間は休憩時間も含めて3時間11分だった。

 
 以下に、今回街道で見つけたマンホールの蓋を示す。

 

 府中市
 府中市の花「ウメ」を描いたマンホール蓋

 府中市
 市の鳥「ヒバリ」が2羽描かれたもの。

 府中市
 市の木「ケヤキ」をデザインしたもの。

 国立市
 亀甲模様の標準品。中央に市章が描かれている。

 立川市
 立川市の花コブシをデザイン。 
 周りに「HEALTHFUL CITY(健康的な都市)」「TACHI KAWA」

 の文字。

 日野市
 市の鳥「かわせみ」をデザイン。

 以上

 

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◆旧甲州街道_日野-西八王子2021年10月14日

2021年10月11日(月)晴れ

甲州街道の日野と西八王子間を歩いた。

10:20に日野駅をスタート。


 (1)庚申塔【10:24】

 (2)日野自動車本社工場【10:38】
 (3)一里塚跡【10:46】
 道路わきにあった蔵
 (4)高倉稲荷神社【10:58】
 享保3年(1719年)に高倉新田の鎮守として創建。
 写真の左側に少し映っているのは境内にある「火の見櫓」。
 (5)日枝神社【11:35】
 (6)大和田橋【11:50】
 (7)一里塚祉【11:59】
 (8)永福稲荷神社【12:00】
 (9)市守神社【12:08】
 (10)八日市宿跡碑【12:34】
 (11) 荒物加島屋(城所莊藏商店)【12:41】
 江戸時代から続く蔵造りの荒物店「加島屋」。
 この店蔵が建てられたのは明治20年とのこと。
 (12)三年坂の標石【12:48】
 後日調べたら、ここは多賀神社に向かう坂道だったそうだ。
 坂の名は坂下にあった子育て地蔵(別名車地蔵)にちなみ、
 安産や子育てを願う産寧(さんねい)から名付けられたと
 いう。
 また、「三年坂で転ぶと三年のうちに死ぬ」という言い
 伝えもあったという。
 (他の資料では、ここでころんでも三年たてば治るので
 三年坂と云った。というのもあった。)
 追分交差点
 (13)追分道標【12:55】
 「左 甲州道中高尾小道」「右 あんげ道」と刻まれている。
 「あんげ道」とは案下道と書き、現在の陣馬街道。
 (14)了法寺(りょうほうじ)【12:57】
 入口に設置された美少女イラスト看板から「萌え寺」とし
 ても知られる。
 祀られている「新護弁財天」が音楽・芸術の神であること
 から、檀家の孫である広告企画会社社長の紹介により、美
 少女イラストによる案内看板を製作したという。
  
 住職は最初見たときは愕然したというが、家族や檀家に相
 談したところ「かわいいからいいんじゃない?」と特に反
 対もなくあっさり決まったという。
 (15)八王子千人同心屋敷跡記念碑【13:04】
 家康は、甲府の元武田家の家臣とその配下の同心による武
 士団を、地域の治安維持を主な目的として八王子に移した。
 これが千人同心のはじまり。
 (同心とは江戸幕府の下級役人。)
 組の「頭」は現在の千人町周辺に住み、同心たちの多くは
 周辺の村に住んで、武士としての役目を勤める時以外は、
 農業をして生活をしていたという。

 (16)興岳寺(こうがくじ)【13:12】
 (17)西八王子駅東交差点【13:22】
 今回は予定通りここまでとした。
 休憩も含めた歩行時間は、3時間2分だった。
 駅近くにあった千人同心のタイル
 ひとつだけだが、今回見つけたマンホールの蓋を示す。
 
 都の指定無形文化財でもある「八王子車人形」がデザイン
 されているもの。
 「車人形」とは、幕末に多摩地方で始まった郷土芸能で、
 ろくろ車という3個の車輪がついた箱型の車に腰をかけて、
 一人の人形遣いが一体の人形を操る、特殊な一人遣いの人
 形芝居。
 以上

 

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◆旧甲州街道_八王子-小仏2021年10月20日

2021年10月18日(月)晴れ

旧甲州街道の西八王子と小仏峠間を歩いた。

10:12に西八王子駅をスタート。

    

「千人同心」のポール

 (1) 西八王子駅東交差点【10:14】

 前回の終了地点。ここからスタート。

 前回は見落としていたが、馬場横丁という石碑があった。

 この通り付近に千人同心の乗馬練習場があったことから、

 この通りは馬場横丁と呼ばれていたという。

 (2)道標【10:28】

 「右高尾山道」「左真覺寺道」と刻まれている。

 (3)長安寺【10:32】

 (4)道標【10:49】

 (5)山王社【10:52】

 松姫所縁の「子育地蔵」がある。写真の右側の祠。

 松姫は竹田信玄の六女で、武田家滅亡後八王子に移った。

 (6)石地蔵尊【10:55】

 (7)黒塀の旧家【10:56】

 旧街道の趣が感じられる。

 

 (8)熊野神社【11:01】

 (9)石地蔵尊【11:22】

 (10)高尾駒木野庭園【11:28】

 (11)地蔵尊【11:30】

 (12)祠と石碑【11:32】

 後日調べたが詳細不明。

 (13)駒木野橋碑【11:33】

 (14)小仏関所跡【11:34】

 (15)駒木野宿碑【11:35】

 (16)念珠坂碑&石仏群【11:38】

 (17)石仏石塔【11:43】

 (18)梅郷橋【11:44】

 (19) 蛇滝旅籠(じゃたき はたご)【11:47】
 高尾山は修験道の山であり、「琵琶滝」と「蛇滝(じゃたき)」

 は三百年ほど前に滝修業の水行道場として整えられた。
 蛇滝旅籠はそのための休息所で、江戸後期には「ふぢや新兵衛」

 という旅籠屋だった。
 
 神道の「みそぎ」同様、水で心身を清める行為は仏教でも

 「垢離(こり)」と呼ばれ、それが日本古来の山岳信仰に

 由来する「滝への崇拝」と結びついたのが「滝行」といわ

 れている。

 

 調べた資料には「軒下には(神田・二見)など講の名を彫った

 札が並んでいる。」と書かれてあったが、今は次の拡大写真の

 ようにすべて剥がれていた。

 旅籠脇の石塔
 文字の劣化が激しくて読み取れないが、高尾山中腹にある

 蛇滝への道標だと思われる。

 (20)いのはな慰霊碑入口【11:48】

 (21)道標【11:55】
 後日調べたら「是より高尾山道」と書かれてあるそうだ。

 道標の向かい側にあった「蛇滝水行道場入口」の標柱。

 湯の花梅林

 (22)常林寺【12:01】

 道端に集められていた壊れた裸婦像
 一見すると「彫刻の森」的なモニュメントに見えなくもないが、

 ただ産業廃棄物として放置されているだけのようだ。

 (23)浅川国際マス釣場【12:08】
 コロナ感染予防のため休業中かと思ったが、そもそも普段

 でも月曜日は休業日とのこと。

 (24)道標【12:12】

 (25)赤レンガガード【12:15】

 (26)京王バス終点【12:26】

 

 まだ東京都内(!)ということで、平日でも少なくとも

 1時間に1本はバスの運行があった。
 ここでトイレ休憩。

  
 (27)寶珠寺【12:41】

 (28)景信山登山口の道標【12:49】

 (29)登山道への分岐点(駐車場)【12:53】

 山道風景
 道幅も広くて険しくはないが、勾配はそこそこあり、軽登山

 の趣。

 (30)小仏峠【13:17】

 本日はここまでで終了とした。
 歩行時間は休憩を含めて3時間3分だった。

 このあと、(26)のバス停まで戻り、14:10発のバスで

 帰宅。

 以上

 

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