◇江戸七富士巡り2018年06月03日

2018年5月29日(火)曇り時々晴れ

「江戸七富士」と呼ばれる都内の富士塚を回った。

 

4月27日に、品川神社にある品川富士に登ったのだが、

<http://slowly-walker.asablo.jp/blog/2018/05/02/8841192>

帰ってから調べると、都内には「江戸七富士」と呼ばれる

同様の富士塚があり、品川富士もその一つとのこと。

よって、本日、残りのすべてを回ってみた。

  

それぞれの位置が分散しているため、途中の移動には

電車も使った。

また、せっかくなので、通り道にあった二つの史跡(墓)

も立ち寄った。

  

最初のJR鶯谷駅に着いたのが9時35分。すべてが

終わって最後のJR千駄ヶ谷駅に着いたのが15時5分。

合計で5時間半の散策となったが、列車移動は1時間半

徒歩移動&休憩&昼食(&迷走)が4時間となった。

 

行程実績を次にまとめた。

  

①下谷坂本富士(小野照崎神社境内)

鶯谷駅は北口から外に出たが、駅前が複雑で少し迷った。

大通りに出てからは、比較的分かりやすい場所だった。

 

富士塚はかなり草が生い茂っているように見え、写真の

ように門がしっかり閉められていて登れない。

6月30日に開山式があり、その日と7月1日のみ登拝

できるそうだ。



②十条富士(富士神社境内)

駅のすぐ近くにあり分かりやすい。頂上まで登れた。




ここから十条駅に行くのに、「演芸場通り」と書かれた

商店街を通った。

途中にあった演芸場が次の写真。

人通りは少ないが、何となく下町の雰囲気が漂う。

③新撰組の墓

板橋駅の正面にある。

2枚目の写真の、右側の碑の正面には近藤勇と土方歳三

の名が、左側の碑には永倉新八の名が刻まれている。

④池袋富士(池袋氷川神社境内)

綺麗な状態で保存されているが、中には入れない。

年に一度、71日(正午~日没)に限って登拝出来る

そうだ。(ここは江戸七富士には含まれていない。)

⑤豊島長崎富士(高松富士)富士浅間神社境内

ここに辿り着くのにはだいぶ苦労した。1時間近く周囲を

歩き回った。

 

富士浅間神社境内と書いてあったので、それらしき神社を

探し回ったのだが、実は長崎神社境外末社ということで

富士塚前には無人の簡素な社殿しかなく、とても神社には

見えないところ。

しかも富士塚の前が普通の児童公園になっていて、道路

から覗いてもその児童公園しか見えないような路地裏なの

で、完全に見逃して何度も通り過ぎてしまった次第。

 

つつじが綺麗な富士塚だが、厳重に柵がしてあり、登れ

なかった。7月1日と2日だけ、公開されるようだ。

⑥江古田富士(茅原浅間神社境内)

江古田駅のすぐそば。

入口が封鎖されていて立入禁止。残念ながら中はよく

見えなかった。

立て看板によると、正月三が日、7月1日(山開き)と

9月第二土曜日曜日のみ入山が許されているとのこと。

⑦音羽富士(護国寺境内)

護国寺の仁王門を入ると、右手に冨士道と彫られた石碑が

あり、その奥にあった。

 

神社ではなく寺の敷地内に富士塚があるのは、この護国寺

の音羽富士だけとのこと。

 

特に柵もなく、そのまますぐに登れた。

⑧服部半蔵の墓

四ツ谷駅から10分弱。

服部半蔵が創建した西念寺の境内にある。

最初場所が分からず、墓地の中を少し探しまわったが、

墓地の一番端にあった。

に見たNHK歴史秘話ヒストリアを思い出した。

 

父親が伊賀出身で忍びの出であったが、忍者は不定期の

雇われ兵で、言わば派遣社員なので、雇用の安定した

正社員を目指して武士(足軽)になったとか。

 

よって、この墓に祭られている二代目半蔵自身は忍者では

なく武士であったが、父親からの縁で、徳川家に召し抱え

られた伊賀忍者を統率する立場になったという。

 

五百年以上前の日本で、非正規雇用から正規雇用を目指

していたっていう事が新鮮で、記憶に残っていた。  

  

途中で国立競技場の工事現場横を通った。

⑨千駄ヶ谷富士(鳩森八幡神社境内)

千駄ヶ谷駅10分弱。

6月3日に開山式が行われるとのことで、その準備が進め

られているようだった。

 

最初の写真の鳥居の前に不自然に立っている細い柱は、

開山式のときに提灯をぶら下げる仮柱のひとつのようだ。

 

なお、特に登山口が閉められてはいなかったので、頂上

まで問題なく登れた。

富士塚は江戸時代の富士信仰に基づき作られ、これで富士山

に登ったことと同じ霊験が得られるのだ、と書かれていたが

最初はなかなか実感が湧かなかった。

しかし、考えてみれば、寺院や神社のミニチュアといえる

仏壇や神棚を家において拝むように、近所の神社に富士山の

ミニチュアを作って拝むということなのかな、と思ったら、

何となく合点がいった。

 

今は、周囲に多くの背の高い建物があるので目立たないが、

江戸時代には、地域の中でも少し際立った存在だっのかも

しれない。

何となく江戸庶民のいじらしいバイタリティを感じる。





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