◆旧中山道_高崎-磯部(1)2020年11月02日

2020年10月25日(日)晴れ 

旧中山道の歩き旅8日目。

高崎宿-板鼻宿-安中宿と歩いた。

 

2回に分けて掲載する。今回は「その1」。

前回の終了地点、高崎駅前あら町交差点からスタート。

 (1) あら町交差点【10:53】

(2)田町絹市場【11:00】



(3)金澤屋【11:04】

天保7年(1836年)創業の寝具販売店。

初代・本木庄次郎氏が綿打ち商を始め、現在の社長は七代目

とのこと。

当時、布団は買うものではなく家で作るものだったそうだ。

(4)蔵造り商家山田家(旧山源漆器店)【11:05】


(5)高崎神社【11:13】

(6)番所跡【11:16】

公民館の前。


(7)岡醤油醸造【11:18】



(8)山田文庫【11:20】



(9)街道風景【11:23】

(10)君が代橋親柱【11:28】


(11)萬日堂【11:37】




(12)下豊岡の石神社【11:42】


 (13)道祖神【11:42】

(14)信州道分去れ道標【11:57】

「右はるなみち、くさつみち」と刻まれている。

(15)道標【12:03】

斜めになったままというのは、いささか悲しい。

(16)若宮八幡宮【12:07】



(17)神明社【12:10】

(18)庚申塔【12:12】

(19)上豊岡の茶屋本陣【12:13】



(20)湯沢のお地蔵様【12:14】


(21)街道風景【12:16】

 羊が何頭も飼われていた。

(22)金ケ崎不動尊【12:18】

脇に道祖神もあった。



(23)上州櫓(やぐら)造りの民家【12:19】

当時の養蚕は家族が住む家の中で行われ、二階部分を

そっくり養蚕室として使うのがごく一般的だった。

  

蚕は寒さを嫌うので暖房を要し、また空気の汚れも嫌う

ので、必然的に換気が必要となり、屋根の棟に小さな家

のかたちをした換気塔が設えられるようになった。

それが上州櫓造りで、養蚕は農家にとって最大の換金

産業だったので、こうした造りの家は多く見られるとの

こと。



(24)馬頭観音碑【12:54】

周囲の植栽が繁茂しすぎていてさっぱり分からないが、

後で調べたら馬頭観音像とのこと。

(25)浅間神社【12:58】



道路の向かい側の一里塚

(26)天照皇大神宮【13:03】


途中の店舗に飾られていた「あまびえ」の達磨


(27)道標【13:05】

(28)道祖神【13:10】

(29)八幡宮参道【13:11】


(30)街道風景【13:16】

(31)寒念仏橋供養塔【13:18】

(32)道標【13:25】


(33)双体道祖神【13:28】


(34)庚申塔・地蔵尊【13:29】

(35)道標【13:32】

(36)板鼻館【13:35】

(37)板鼻宿交差点【13:36】

(38)本陣跡【13:37】



(39) 八坂神社跡の双体道祖神と石碑【13:39】


(40)鷹巣神社入口碑【13:45】


(41) 板鼻町簡易水道碑【13:47】

給水人口が5,000人以下である水道事業を簡易水道事業と

いうそうだ。

(42)諏訪神社【13:52】


(43)道標【13:55】

以降は「その2」に掲載する。

 

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