◆旧姫街道_御油-嵩山2019年09月05日

2019年8月19日(火)曇り一時雨

旧東海道の脇街道(脇往還)である姫街道(本坂通)を

歩いた。

 

東海道の本道は浜名湖の南側を通り、途中で浜名湖が海と

繋がった部分には今切の渡しがあるが、台風や地震等で

今切の渡しが使えなくなくなった時や、海上の渡しを嫌っ

た人達の為の、浜名湖の北側を通る迂回ルートが姫街道。

 

ちなみに徳川家光は船酔いが酷いので、必ず姫街道を通っ

たらしい。

今日は初日。御油宿から嵩山(すせ)宿まで歩いた。

 (1)御油宿追分【6:25】

東海道との分岐点。


(2)国道1号線との交差地点【6:29】

姫街道は国道1号線をまっすぐに突っ切っているが、ここ

では渡れないので、追分交差点まで移動して横断する。

(3)鉄道を渡る歩道橋【6:33】

名古屋鉄道の上を渡る。

(4)芭蕉句碑【6:37】


(5)船山古墳【6:40】

東三河最大級の前方後円墳で,古墳時代中期(5世紀後半頃)

と考えられている。

道路に面した部分の法面工事が行われていた。



途中のコンビニで軽く朝食を取ったあと、歩きを再開。

 

(6)三河国総社・三河国府跡【7:05】

入口が街道の反対側なので少し迷った。

   

国府とは八世紀に全国六十余りの国々(地方自治体)に

設置された国の役所で、その中心施設を国庁という。

三河国の三河国庁がこの総社の東側に置かれた。

  

総社とは、国司の神社巡拝のために、祭神を一か所に合祀

した神社。各国の国府近傍に設けられた。


(7)上ノ蔵遺跡【7:16】


 (8)常夜灯【7:20】

(9)三河国府八幡宮【7:21】

白鳳時代(飛鳥時代と奈良時代との間)に、大分県の宇佐

八幡宮から勧請された社。

  

奈良時代に三河国分寺が造立されると、その鎮守の神と

なり、三河国府八幡宮と称される。

  

国府八幡宮(こくぶはちまんぐう)とは、国府の近く

創建された八幡宮。

(10)街道の風景【7:32】

ひたすら車道(県道5号線)を進む。


 (11)途中で見かけた廃屋【7:44】

江戸時代のものか?と一瞬期待したが、せいぜい昭和初期

あたりか?詳細不明。

(12)道標【7:45】

(13)一里塚跡地【7:50】

(14)本宮山遥拝所【7:53】

遥拝所(ようはいじょ)とは、遠く離れた所から神仏など

を拝むために設けられた場所。

砥鹿神社(とがじんじゃ)本宮山奥宮を遥拝するために、

天保131842年)に建立されたもの。

当初はここに大鳥居が建てられていたが、昭和2087

の空襲で被災。

(15)諏訪神社【7:54】

(16)平安風の注意掲示板【7:58】

街道沿いの掲示板。姫街道にピッタリの姫の図柄なので、

思わず撮影。

ただ、車の往来が多いこの通りの、どこにごみを捨てる

のか??

(17) 豊川市総合体育館前の彫刻【8:05】

(18)日本車両製造()豊川製作所【8:09】

門の両側にモノレールとSLが展示してある。





(19)豊川海軍工廠(こうしょう)跡【8:10】

日本車両製造()豊川製作所は、昔の豊川海軍工廠(こう

しょう)跡。

機銃とその弾丸を作っていたが、終戦間際の空襲で大被害

を受け、2500人以上が亡くなったとのこと。

  

工廠(こうしょう)とは、軍隊直属の軍需工場のこと。

(20)平和の像【8:13】


(21)金屋食道【8:30】

街道筋で妙に目立つ建物だったので撮影したが、後日

調べたら、豊川市でも有名な定食屋さんとのこと。

さすがに江戸時代とはいかないが、大正から昭和初期に

建てられた建物のように思われる。

ちなみに、「金屋」はここの地名。

(22)供養塔【8:52】


(23)豊川稲荷【9:00】

豊川稲荷(とよかわいなり)は、曹洞宗の寺院。

稲荷と呼ばれているのに神社ではなく寺というのがおも

しろい。しかも境内には鳥居もある。

   

正式の寺号は「円福山 豊川閣 妙厳寺」(えんぷくざん

とよかわかく みょうごんじ)。

豐川吒枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)を祀っている

が、それが稲穂を荷い、白い狐に跨っておられることから、

いつしか「豊川稲荷」が通称として広まったそうだ。

 

日本三大稲荷の1つとされ、商売繁盛などを願う参拝客ら

年間500万人が訪れる。

 

ちなみに、日本三大稲荷とされているのは、伏見稲荷大社

(京都市伏見区)祐徳稲荷神社(佐賀県鹿島市)・豊川稲荷、

というのが多いが、公式に定められたものではないので、

異説も多くある。










 (24)三明寺【9:22】

三明寺(さんみょうじ)は、豊川稲荷と同じ曹洞宗の寺院。

豊川弁財天(とよかわべんざいてん)の通称で知られる。

安産・芸道・福徳・海運の守護神となっている。




 (25)常夜灯【10:01】

(26)街道風景【10:05】

街道が堤防に突き当たる地点。

このあたりに「当古の渡し」があった。


(27)当古橋【10:07】

(28)豊橋市道標【10:10】

写真右側には姫街道の表示もある。

(29)馬頭観音【10:25】


 (30)姫街道の道標【10:36】

(31)長楽(ながら)一里塚【10:51】

(32)常夜灯【10:53】

(33)長楽寺の案内石碑【10:56】

長楽寺自体は少し中に入ったところにある。

(34)街道の様子【11:00】

周囲にはミカン畑が広がる。

(35)自由が丘のバス停【11:22】

本日はここまでとし、11:25発のバスで豊橋に移動。

歩行時間は、休憩も含めて4時間57分だった。

豊橋駅周辺で昼食を取った後、まだ時間があるので、

豊橋公園(吉田城)を散策した。以下、写真を示す。










 以上

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◆旧姫街道_嵩山-三ヶ日2019年09月05日

2019年8月20日(水)晴れ

旧東海道の脇街道(脇往還)である姫街道(本坂通)を

歩いた。今日は二日目。

嵩山(すせ)宿から本坂峠を越えて三ヶ日宿まで歩いた。

(35)自由が丘バス停【9:18】

前日の終了地点を9:18に出発。

(36)常夜灯【9:22】

(37)街角に建てられたノボリ【9:22】

(38)嵩山宿案内図【9:25】



(39)嵩山宿夏目本陣跡【9:27】


(40)街道風景【9:28】

(41)道標とのぼり【9:32】

(42)姫街道道標【9:33】

(43)道標とのぼり【9:34】

これ以降は山道が続き、軽登山のおもむき。

道は、登山道と考えれば整備されている方だと言えるが、

人の往来が考えられる主要街道としては、かなり厳しい

だと思う。

これ以降一般道に出るまでは、地図上での正確な位置表示

が難しいので、写真のみの掲示とする。



石畳だが、緑色の苔が覆っていて、非常に滑りやすい。





(44)嵩山一里塚【9:48】



一番大変だったのが、雑草が生茂って蜘蛛があちこちに

巣を張っていた道。

 

次の写真の、中央右に細く見えているのが街道で、両端

からの生茂った雑草で道がほとんど分からない。

この雑草をかき分けながら、かつ、蜘蛛の巣を木の棒で

払いながら進むことがしばらく続いた。

 

後で確認したら、ズボンにも服にも蜘蛛の巣がたくさん

絡んでいた。


途中での倒木。完全に街道を塞いでいる。

倒木の左上の方から木に登って(踏みつけて)進む。

ちなみに、こうした倒木は、あと2か所あった。










(45)本坂峠【10:27】

道標があるから峠だと分かるが、特に視界が開けるわけ

ではない。





ここから下り坂。




(46)椿原生林【10:43】




(47)鏡岩【11:17】






 (48)一般道との合流地点【11:38】


(49)弘法堂【11:41】



(50)道標【11:47】

(51)街道風景【11:48】

(52)高札場跡と秋葉燈籠【11:51】


(53)本坂関所跡【11:53】

(54)道標【11:57】

(55)馬頭観音【12:04】

  (56)本坂一里塚【12:04】

(57)板築駅跡(ほうづきえきあと)【12:21】

ここでいう「駅」とは、八世紀の律令において規定された

駅伝制(宿駅伝馬制度)での古代の駅。

情報伝達のために馬が利用されたが、人馬を休息させたり

交代させたりする設備として、各地に駅(厩、駅家とも)

置かれた。

  

板築駅は、東海道の猪鼻駅(新居町北西部)が天長10年

(833年)大地震で崩壊し、承和10年に復置される

10年間だけ存在した。


(58)華蔵寺(けぞうじ)【12:22】

(59)日比沢の秋葉常夜灯・鞘堂【12:27】


 (60)旧清水屋呉服店&脇本陣跡【13:37】

旧清水屋呉服店は嘉永3年(1850年)創業。

(ちなみに、嘉永6年には黒船来航があった。)

現在の建物は明治39年に建て替えられたものとか。

 

この隣に石川脇本陣があったが現存しない。

ただ、公式に認可されたものではなく、本陣が満員の

際に臨時に使用されたらしい。

(61)三ヶ日宿本陣跡【13:37】


(62)道標【13:44】

(63)三ヶ日一里塚【13:46】


本日はここまでとした。

休憩を含んだ歩行時間は4時間28分だった。

  

以上

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◆旧姫街道_三ヶ日-引佐峠2019年09月08日

2019年8月21日(木)晴れ

旧東海道の脇街道(脇往還)である姫街道(本坂通)を歩いた。

今日は三日目。

三ヶ日宿を出て引佐峠(いなさとうげ)を越え、気賀宿の

手前まで行った。


 (63)三ヶ日一里塚【9:15】

前日の終了地点を9:15に出発。

(64)道標【9:17】

(65)宇志八幡宮【9:24】


(66)道標【9:41】

(67)高札場跡【9:42】


(68)茶屋跡&片山竹茂墓(かたやま ちくも ぼ)

【9:43】

片山竹茂は、(65)の宇志八幡宮六代目宮司を勤めるととも

俳諧の指導者でもあったそうだ。


(69)道標【9:44】

(70)街道風景【9:45】

のんびりした清々しい光景とも言えるが、日影は全くなく、

猛暑日に歩くには、うんざりしてしまう道だった。

(71)高速道路の高架橋【9:54】

下は東名高速道路。

(72)案内図【9:55】

(73)大里峠(おおりとうげ)【9:57】



 (74)道標【10:08】

(75)道標【10:10】


(76)御殿道【10:10】

(77)道標【10:17】

(78)道標【10:26】

(79)道標【10:30】

(80)案内図【10:30】

(81)旗本近藤家陣屋跡【10:34】


(82)大谷代官屋敷【10:37】

(83)道標【10:38】

(84)六部様(ろくぶさま)修行僧円心の墓【10:42】

六部とは、諸国霊場を巡礼する行脚(あんぎゃ)僧のこと。



(85)道標【10:53】

(86)何が書いてあるかさっぱり読めない掲示板

【10:55】


(87)道標【10:56】

(88)街道風景【10:57】

(89)大谷一里塚【11:02】


(90)道標【11:05】

これ以降しばらくの間は、地図上での正確な位置表示が

難しい場所も多く、写真のみの掲示とする。


(91)石投げ岩【11:19】



昨日に続き、再び蜘蛛の巣を払いながらの山道歩き。


(92)象鳴き坂【11:28】



(93)引佐峠(いなさとうげ)【11:36】






車道と交差する地点にあった休憩所。トイレもある。


昨日同様に倒木もあった。







 この後、しばらくミカン畑の横の比較的整備された道を

歩いたのだが、途中で草が生茂った脇道があることに

気付いた。

一旦通り過ぎたが、もしやと思って脇道付近を調べてみ

たら、次の写真のような道標が見つかり、そこから再び

雑草街道の中に分け入った。


 (94)姫岩・平岩ご休憩所【12:11】

前項の道標のすぐ横に掲示板があったので、ここが

「平井ご休憩所」だと分かったが、とにかく周囲の雑草

が酷くて、とても休憩する気にはならない。


 (95)岩根地蔵【12:12】

(96)山道から一般道への出口【12:17】

(97)道標【12:19】

(98)西気賀駅への案内のある交差点【12:21】


本日はここまでとした。

休憩を含んだ歩行時間は3時間6分だった。

結局、三日間で合計12時間31分だった。

  

三日間とも猛暑日の中のウォーキングで峠越えもあったの

で、時間的にも距離的にも、今までより短いものとなった。

   

本坂峠や引佐峠は完全に山道なので、山の中では日差しは

ほとんどなく、その点はよかったが、湿度がけっこう高く、

さらに登山道であることには違いなく、あきらかに平地の

街道歩きよりも疲れた。

(精神的には、蜘蛛の巣を払いながらの歩きが、疲れを倍

させた。)

   

姫街道のルートは先史時代から存在しており、戦国時代に

整備されたそうだが、江戸幕府が整備した東海道の本道と

しては、ここではなく、浜名湖南側の海沿いのルートにな

ったのは、この二つの峠越えがあるからだろう、というの

が、実感として感じられた。

(特別に厳しくはないが、出来れば避けたいルート、と

いう意味で)

  

この続きは、少し秋風が吹くようになってからにしたいと

思っている。

   

この三日間で見つけたマンホールの蓋をまとめて記載する。

   

豊川市

豊川市宣伝部長の「いなりん」を中央に、左右に市の花

「サツキ」、上に市の木「クロマツ」、「いなりん」の

周りには、市の象徴「サクラ」。

ちなみに、「いなりん」はキツネと豊川いなり寿司との

合体キャラ。

豊川市

市内を流れる豊川と本宮山。市の木「クロマツ」と市の花

「サツキ」、それに豊川稲荷を連想させる「キツネ」が

描かれている。

豊橋市

朝日のなかを船が出港する姿から人・緑・街をデザイン。


豊橋市

公会堂と市電の日常的風景と市花(つつじ)をデザイン。

豊橋市

吉田城と手筒花火をモチーフにしたもの。

手前には市の木「クスノキ」。


豊橋市

豊橋市の道路をそのままデザインしたようだが、詳細不明。

三ヶ日

市の花「ミカン」の花と実、「猪鼻湖(いのはなこ)」、

「ヨット」、猪鼻湖と浜名湖との境界に架かる「新瀬戸橋」

がデザインされている。

側道の蓋。豊川稲荷の近くの道で見かけた。

以上

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