◆旧東海道_庄野-亀山2019年05月23日

2019年5月15日(水)曇り

四日市宿から土山宿までを3日間かけて歩いた。

その2日目。

  

今日は、庄野宿から坂下宿まで歩いたが、2回に分けて

記載する。1回目は、庄野宿から亀山宿。


(1)庄野町集会所前バス停【7:25】

前日の終了地点を出発。

(2)川俣神社【7:27】

(3)東海道道標【7:28】

(4)国道との交差点の道案内図【7:30】

(5)案内図に示された地下道【7:33】

(6)従是東神戸領(これよりひがしかんべりょう)の碑

7:40】

途中にはセメントで繋げたような補修の跡が。

道の反対側の同じ碑【7:40】

(7)女人堤防の碑【7:41】


 (8)中富田一里塚跡【7:47】


 (9)川俣神社【7:47】

一里塚のすぐ隣。

(10)川俣神社【7:56】

なぜ街道筋に三つも川俣神社があるのか不思議に思い、

後日調べたが、二つの川の合流点ということと関係が

あるらしいということだけで詳細は不明。

 

ちなみに鈴鹿川沿岸には六社も同名神社があるそうだ。

(11)和泉橋【8:00】

旧東海道より少し下流側に掛かるが、安楽川を渡る近傍

の橋はここしかないので渡る。

(12)井田川駅【8:17】

街道は鈴鹿市から亀山市に入る。

駅の住所は亀山市井田川町。

駅前の案内図【8:17】

 日本武尊の像【8:18】

駅前にあった。

ヤマトタケルが、東国の蝦夷を平定しての帰途、この

あたりで病死したと伝えられているとのこと。

(13)旧井田川小学校跡【8:26】

なつかしい銅像が傍にあった。

(14)道標【8:32】

(15)西信寺【8:33】

(16)法悦題目塔【8:40】


 (17)和田道標【8:44】

(18)道標【8:45】

(19)石上寺(せきじょうじ)【8:50】

(20)和田一里塚跡【8:54】

かなり大きくて立派だが、残念ながら、平成に入って

から摸式復元されたもの。


(21)カメヤマ本社工場【9:03】

亀山ローソクで有名。

スパイラルキャンドルはここが元祖とのこと。

(22)露心庵跡【9:05】

ここから先が亀山宿。


(23)巡見道(じゅんけんどう)表示板【9:09】

 (24)江戸口門跡【9:17】
 街道はしばらく商店街となっている。【9:18】

残念ながら多くの店のシャッターが閉まっていたが、

時間が早いせいなのか、それとも・・・

(25)樋口本陣跡【9:22】

(26)交差点での案内板【9:23】

ここから商店街ではなく一般の街道となる。

歩道上のタイル【9:23】

(27)亀山城東三の丸跡【9:24】

屋号札の掲示【9:26】

 以降、多くの家屋に次のような表示が出ていた。

(28)遍照寺(へんじょうじ)【9:27】

古い街並み【9:28】

(29)亀山宿道標【9:30】

(30)西町問屋場跡【9:32】

 (31)飯沼慾斎(いいぬま よくさい)生家跡【9:34】

 

飯沼慾斎は江戸時代の医家で本草学者。

「リンネ(=分類学の父と呼ばれる博物学者)」の植物

分類法を最初に採用した「草木図説」を出版。

その価値は時代を経ても色あせることなく、海外でも高く

評価されていたとのこと。

 

こういう世界的な人が江戸時代にいたことを初めて知った。

江戸時代の文化が世界レベルだったことを改めて認識した。

(32)旧舘家住宅(枡屋)【9:34】

亀山宿の町家の代表的な例。幕末から明治にかけて

呉服屋を営んでいた大店とのこと。


(33)亀山城西之丸外堀【9:36】


 (34)亀山城青木門跡【9:40】

(35)亀山藩主石川家家老加藤家屋敷跡【9:41】


(36)京口門跡【9:47】

 現在の京口橋【9:47】

(37)森住宅【10:50】


(38)野村一里塚【9:58】

樹齢四百年のムクの木とか。

一里塚の碑文は何が書いてあるか判読が難しい。

(39)亀山藩大庄屋打田権四郎昌克旧宅跡【10:05】

横面には次のように書いてあった。

「打田家は江戸初め頃近江国(滋賀県)から野尻村(布気

町)に移住し、代々いくつもの庄屋をまとめる大庄屋を

務めた。

現在地から東海道を挟んだ北側にその屋敷があった。

打田権四郎昌克(1641~1758)は、元禄十五年(1702)

亀山藩に関する記録集「九々五集」を編さんした。」

  

ちなみに、ここに書かれた(1641~1758)だと117年間に

なるが、個人の生存期間とはとても思えないのだが???

(40)道標【10:06】

(41)布気皇舘大神社(ふけこうたちだいじんじゃ)

【11:08】

延喜式巻九「伊勢国鈴鹿郡19座並小布氣神社」とあり、

垂仁天皇18年の創始にかかる式内社。

布気皇舘太神社は、時代によっていろいろな名で村人に

親しまれたが、明治41年近郷の小社・小詞を合祀し、

現在の社名となったそうだ。

(42)古い民家のままの郵便局【11:10】

(43)一号線と交差する場所の道標【10:15】

(44)大岡寺畷(たいこうじなわて)【10:18】

「畷/縄手」(なわて)とは、細いまっすぐな道のことで、

この大岡寺畷は約2キロにわたって鈴鹿川に沿って築かれた

堤の上を通る。

当時、東海道の畷道の中で随一の長さであったらしい。

畷から見えた鈴鹿川【10:22】

(45)高速道路との立体交差点【10:25】

壁面に浮世絵が描かれている。


これから関宿に入る。

以降は「関-坂下」に続く。


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