◆旧東海道_土山-石部(1) ― 2019年06月22日
2019年6月11日(火)
土山宿から京都三条大橋までを3日間かけて歩いた。
1日目(6/11)は 土山宿-水口宿-石部宿
2日目(6/12)は 石部宿-草津宿-大津宿
3日目(6/13)は 大津宿-三条大橋
休憩を含めた歩行時間は、今までより少し長く、合計で
17時間38分だった。
1日目と2日目は、それぞれ2回づつに分け、合計で
全5回で掲載する。
今回は1日目の「その1」。土山宿から水口宿。
前回(5月16日)の終了地点「若王寺口(にゃくおう
じぐち)バス停」を7:53に出発。
ちなみに、ここに来るのには、貴生川駅前7:30発の
甲賀市コミュティーバスを利用。
(1)若王寺口バス停【7:53】
バス停は国道1号線にあるが、そこをスタートすると、
すぐに国道に平行している脇道の旧街道に入る。
旧街道を歩き始めてすぐに見られた古い民家【7:56】
家の前に「旅籠 東屋 跡」という石碑があり、まだ土山宿
の一部であることが分かる。
前回の行程でもこうした石碑はいくつも見かけたが、同様
のものはこの後も数件見られた。
街道の風景【8:04】
(2)土山今宿の道標【8:11】
国道一号線との合流部分にあった。
今宿は地名で、近くに今宿城があったとのこと。
国道一号線を交差して渡ると、街道はすぐに水口町
(みなくちちょう)に入る。
(3)水口宿の案内表示【8:13】
水口宿の掲示された柱に描かれた「水口曳山まつり」の銅版画。
甲賀市観光絵図【8:14】
なお、甲賀市は「こうか」市であって、「こうが」市では
ない。
後で調べたら、「甲賀」の発音には「こうか」と「こうが」
の二通りがあり、市名決定の際の決選投票で、従来の甲賀
郡(こうかぐん)の発音を引き継いで、清音の「こうか」
になったとのこと。
(4)旧街道は再び脇道に入る。その案内道標【8:16】
(5)経塚【8:18】
古民家風のカフェ【8:21】
(6)今在家一里塚跡【8:22】
説明書きに書かれているように復元されたもの。
(7)東海道道標【8:23】
個人的に作られたものなのか、植木鉢に入れられている
手作り感が、ちょっとほのぼのする。
(8)高札場跡【8:27】
(9)岩神社【8:38】
参道を少し上がると鳥居があり、その奥に小さな祠があった。
(10)八幡神社【8:53】
(11)道標【8:57】
(12)松並木の説明板【9:00】
(13)水口宿の町名表示石碑「田町」【9:06】
これ以降、それぞれの町角にはこうした表示があった。
(14)水口宿案内板【9:08】
(15)東見附(江戸口)跡【9:09】
(16)脇本陣跡【9:13】
(17)本陣跡【9:14】
水口宿案内板
(18)高札場跡【9:17】
古民家風の建物の法律事務所【9:18】
(19)問屋場跡【9:21】
「甲賀流 忍術もなか」の幟【9:21】
(20)曳山模型の時計台【9:26】
(21)三筋のからくり人形時計【9:36】
(22)石橋【9:36】
写真右奥は近江鉄道の水口石橋駅
(23)甲賀市水口地域市民センター【9:37】
(24)水口城天王口跡【9:40】
水口宿説明板【9:40】
「飛出し注意」の看板【9:41】
(25)曳山蔵(天神町)【9:45】
(26)小坂の水口石【9:49】
ここで一旦旧東海道から外れて水口城跡に向かう。
(27)水口城跡【9:55】
(28)百間長屋跡【10:03】
(29)真徳寺表門【10:05】
(30)林口の勧進縄【10:09】
(31)一里塚跡【10:10】
(32)西見附跡【10:12】
(33)北脇縄手と松並木【10:18】
(34)火の見櫓のモニュメント【10:29】
古民家風のバス停待合室【10:29】
街並み【10:43】
(35)道標【10:48】
(36)泉一里塚【10:51】
(37)横田の渡し大常夜灯【10:53】
横田の渡し公園から見る野洲川
金比羅宮
横田の渡しの場所では川を渡れないので、上流の横田橋
まで移動し、近くで休憩した後にその橋を渡る。
(38)横田橋手前の朝国の交差点【11:24】
以降は その2 に記載する。
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◆旧東海道_土山-石部(2) ― 2019年06月23日
2019年6月11日(火)
土山宿から京都三条大橋までを3日間かけて歩いた。
今回はその1日目の「その2」で、水口宿から石部宿。
(38)横田橋手前の朝国の交差点【11:24】
国道1号線の横田橋で野洲川を渡り、渡った場所から
再び旧東海道に復帰する。
(39)常夜灯【11:32】
(40)道標【11:36】
微妙大師萬里小路藤房郷墓所と書かれてある。
(41)三雲地区案内図【11:41】
(42)二つの道標【11:45】
万里小路藤房郷古跡と書かれてある。
「田川ぶどう道」と書かれているらしい。
(43)東海道道標【11:51】
(44)常夜灯【11:52】
最近作られたものらしいが、その理由は不明。
(45)三雲おもてなし処【11:57】
「猿飛佐助甲賀流忍者の里」と掲げてあった。
(46)大沙川の隧道【11:58】
(47)弘法大師錫杖跡・お手植の杉【11:59】
(48)夏見一里塚【12:14】
石碑ではなく道路に埋め込まれたタイルというのは初めて。
(49)針文五郎顕彰碑【12:24】
(50)うつくし松【12:29】
(51)家棟川(やのむねがわ)隧道扁額【12:29】
街並み【12:34】
(52)八島寺地蔵堂【12:44】
(53)石碑【12:46】
(54)おやすみ処【12:49】
(55)「これより石部宿」の表示板【12:52】
街灯【12:54】
(56)東の見附跡【12:58】
(57)吉姫(よしひめ)神社【13:02】
(58)石部中央の小公園【13:12】
「石部中央」の交差点の両側に小公園があり、次項以下の
ようなモニュメントや案内板がまとめて掲示されていた。
石部城跡
高札場跡
問屋場跡
常盤館跡
三枚の壁画
(59)問屋場跡の旧看板【13:14】
(60)三大寺本陣跡【13:15】
今は床屋さんだった。
(61)いしべ宿驛 【13:17】
石部本陣の跡地に建てられた休憩所
街角に掲示されていた浮世絵【13:18】
(62)小島本陣跡【13:18】
(63)田楽茶屋【13:21】
街並み【13:23】
(64)鉤の手道(かぎのてみち)【13:24】
(65)旧東海道の道標【13:24】
(66)石部一里塚跡【13:26】
(67)石部駅への交差点【13:32】
石部駅【13:34】
本日は、予定通りここまでで終了とした。
休憩を含めた今日の歩行時間は、5時間41分だった。
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◆旧東海道_石部-草津(1) ― 2019年06月25日
2019年6月12日(水)晴れ
土山宿から京都三条大橋までを3日間かけて歩いた。
今回は2日目で、2回に分けて掲載する。
以下、2日目の「その1」。
(1)石部駅前の交差点【7:47】
前日の終了地点を7:47に出発。
(2)西縄手【7:48】
東海道五十三次図
しばらく線路沿いの道を進む【7:56】
(3)長徳寺【8:23】
長徳寺の入口にある領界石
「従是東照領」と刻まれていたようだ。
長徳寺にあった上野夜雨(かみののやう)の石碑
(4)道標【8:25】
「新善光寺道 是より一丁餘(余)」と書かれてある。
(5)福正寺【8:28】
木造地蔵菩薩立像
(6)史跡 旧和中散本舗【8:30】
このあたりは宿場の間の休憩所である立場として栄え、
道中薬を売る店があることで知られていたとのこと。
和中散は、近くに滞在中の家康の腹痛を治したことで、
この名前を与えられたとか。
次の写真の右半分は和中散本舗。左半分は大角氏庭園。
大角氏庭園
この向かい側が大角家住宅隠居所
(7)一里塚の石碑【8:35】
梅の木の説明書き石板
民家に掲げられた昔風表札【9:37】
土山宿でよく見られたものに似ている。
(8)肩かえの松【8:47】
(9)手原醤油 顕彰碑【8:55】
(10)東海道手原の道標【8:57】
この後、手原駅に立ち寄り小休止【9:01】
(11)古代建物群手原遺跡の碑【9:02】
手原駅前にあった。
白鳳時代から平安、鎌倉前期にかけての遺跡群。
(12)東海道道標【9:15】
下に小さく「すずめ茶屋跡地」と書かれてある。
すずめ茶屋跡
(13)足利義尚公 鈎(まがり)の陣所ゆかりの地【10:34】
隣に義尚に関する多数の歌碑がある。
室町時代末、権威の落ちた幕府にたてつく近江守護佐々木
高頼を攻めるために、1487(文明19)年、足利義尚将軍が
出陣してここに陣を張ったが、小競り合いを繰り返している
うちに、2年後陣中で25才の若さで病没。
(14)道標【9:32】
(15)道標【9:33】
(16)一里塚【9:40】
(17)目川立場田楽茶屋 元伊勢屋跡【9:44】
(18)田楽茶屋京伊勢屋跡【9:47】
(19)道標【9:55】
(20)史跡老牛馬養生所跡【9:56】
(21)道標【9:58】
この後は、その2 に続く。
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◆旧東海道_石部-草津(2) ― 2019年06月26日
2019年6月12日(水)晴れ
土山宿から京都三条大橋までを3日間かけて歩いた。
今回はその2日目の「その2」。
(22)火袋付石造道標【10:06】
草津宿の街並み【10:10】
(23)火袋付道標【10:15】
旧中山道と旧東海道の分岐点。
火袋付道標の向かい側に合った高札場
(24)東海道案内板【10:16】
(25)草津宿本陣【10:17】
(26)脇本陣 藤屋与左衛門家【10:23】
今はお茶屋さんでした。
(27)酒屋丸屋沖右衛門
(28)草津宿脇本陣跡
パン屋になっていた。
(29)三度飛脚取次処(荒物屋九右衛門家跡)【10:25】
残念ながら道路上の割れたタイルのみ。
幕府の公文書を運んだのが飛脚の始まりだが、その後、
一般の人の手紙や小包を運ぶために誕生したのが「町
飛脚」で、上方と江戸の間を月に三回定期的に往復して
いたことから「三度飛脚」と呼ばれたとのこと。
(30)草津宿街道交流館【10:27】
(31)草津の政所(まんどころ)・問屋場跡【10:29】
(32)立木神社【10:32】
(33)黒門跡の説明板【10:37】
(34)矢倉立場跡・道標【10:44】
道標は、対岸の大津へと琵琶湖の湖上を渡る「矢橋(やば
せ)の渡し」の渡し場へ続く矢橋(やばせ)道との分岐を
示している。
(35)矢倉案内図【10:44】
(36)道標【10:52】
(37)野路町案内鳥瞰図【10:54】
(38)野路一里塚跡【10:55】
(39)道標【11:40】
街並み【11:41】
(40)子宝地蔵【11:50】
(41)野路の玉川跡【11:54】
(42)弁天池【12:00】
(43)東海道立場跡石碑&月輪池【12:20】
(44)一里塚跡【12:32】
(45)大江の千里(ちさと)掲示板【12:39】
(46)大場の桜【12:53】
(47)瀬田の唐橋【13:15】
京都の宇治橋、山崎橋とならんで日本三大橋の一つ。
昔から交通の要衝かつ京都防衛上の重要地であり、日本
書紀にも登場する。
(48)膳所城(ぜぜじょう)勢多口(せたぐち)総門跡
【14:39】
普通の民家の玄関先。
背後の欠けたポリバケツがちょっと・・・。
(49)若宮八幡神社【14:42】
(50)篠津神社【14:48】
(51)中ノ庄駅前交差点【14:51】
旧東海道歩きは、予定通りここまでで本日は終了。
休憩を含めた本日の歩行時間は7時間4分だった。
この後、少し時間があるので、旧街道から少しだけ外れ
るが、大津港方面を回った。
大津港【15:16】
明智左馬之助 湖水渡りのところ【15:30】
本日はここまで。
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