◆旧姫街道_西気賀-追分 ― 2019年11月15日
2019年10月30日(水)晴れ
旧東海道の脇街道(脇往還)である姫街道(本坂通)を
歩いた。
今日は四日目。西気賀から、気賀宿を通って追分
(浜松方面との分岐点)まで歩いた。

前回の終了地点を11:15に出発。

(2)薬師堂【11:56】


道標【11:57】

しばらく山中の道を進む。



(3) 地蔵堂&小引佐(こいなさ)【12:04】



ここからアスファルトの道に出る。
(4)清水みのる詩碑【12:06】

(5)巨人伝説の池「ダイダラボッチの足跡」【12:11】


鯉がたくさん寄ってきた。人慣れしているようだ。

(6)道標【12:11】

ここから再び狭い道を進む。

(7)山田の一里塚跡【12:13】


(8)堀川城戦死者の碑【12:15】

(9)山村修理の墓(修理殿の松)【12:15】

(10)道標【12:18】

途中で出会ったなつかしい車。
初代の「三菱・ミニカ」だと思われるが、だとすると、
50年以上も前のものという事になる。まだ現役らしい。

(11)道標【12:20】

姫街道側は神社の裏側になっていて、反対側が入口だった。
次の写真は姫街道側の案内板。

二宮神社自体はさほど大きな建物ではない。



(13)道祖神&石碑【12:29】
写真右側の自然石が道祖神とのことで、姫街道と金地院道
との分岐点に建てられていたが、少し移動されたとか。
左側の錆びたトタン屋根の被せられた碑には「南無妙法蓮
華経」と書かれてあるそうだ。

(14)道標【12:30】
正面には「是金地院五丁」左には「左三ヶ日往還」と
刻まれている。

(15)呉石学校跡【12:32】

(16)カーブミラー【12:35】
御姫様マークが場違いに目立つが、やや色褪せていた。

(17)諏訪神社【12:39】

民家庭先の桜草(?)とモミジ。

(18)道標【12:43】

(19)獄門畷(ごくもんなわて)【12:44】


(20)西桝形&常夜灯【12:46】



何もない公園で、ちょっとがっかりさせられた。
(22)馬頭観音【12:49】


(23)正名寺【12:49】

(24)気賀宿本陣之址の石碑【12:49】

(25)気賀宿本陣中村家跡【12:52】


(26)気賀駅【12:55】


(27)気賀関所【12:59】
「跡」が付いていないのは、ここが「細江町ふるさと創生
事業」として復元された観光施設であって、実際の関所跡
ではないから。
無論、当時の雰囲気は十分に感じられるので意味はあるが。
ちなみに、実際の施設は、(31)気賀関趾の場所に、ほぼ
そのままの形で明治時代まで残っていたそうだが、その後
解体されてしまった。







(29)藺草(いぐさ)神社【13:18】
細江神社の境内にある。
宝永4年(1707年)の大地震・大津波で、浜名湖沿岸の
田は塩水に浸かり、稲は壊滅的な被害を受けた。
時の領主『近藤用随(こんどう もちゆき)』はその
窮地を救うべく、塩に強い作物と聞きつけた琉球藺
(りゅうきゅうい)を領内持ち込み、藺草(いぐさ)
栽培を奨励。その後、琉球藺は周辺の各村に広がり、
藺草を使った畳表(たたみおもて)の製織はこの地方を
潤したとのこと。


(30)吉野屋【13:18】
割烹料理店。ここの敷地は関所から地続きであり、当地を
治めた旗本気賀近藤家の陣屋跡の最奥にあたる一角で、
池のある庭は当時の遺構であるという。
現状の建造物群は、昭和初期から中期にかけて、板前から
旅館を創業した野島勘作が施主となったものであり、勘作
の長男で日本画家の野島青茲(1915(大正4)年-1971
(昭和46)年)の生家でもある。
中を見たかったが、見学のみの公開はしていないとのこと。

(31)史跡気賀関趾&説明板【13:23】


(33)落合橋【13:46】

(34)金襴の池【13:51】

(35)刑部城跡【13:55】



(36)新谷の宗安寺【14:00】


(37)道標【14:01】
「この先行き止まり」が少し不安にさせたが、ちゃんと
通れた。

街道の様子。

道標はないが、右側の山道を進む。

(38)服部小平太最後の地【14:07】


(39)配水タンク【14:09】
姫様道中という文字がうっすらと見える。

(40)老ヶ谷の一里塚と長坂【14:09】


(41)道標【14:09】

(42)千日堂【14:16】
普通の、しかも歴史的とはとても思えないような、一般
民家なのが意外だった。


(43)老ヶ谷の秋葉山常夜灯【14:19】




(45)六地蔵【14:31】


(46)郵便局【14:39】
旧街道風の建物となっている。

街角の柿の木【14:42】

(47)曲がり松【14:45】


ちょうど剪定作業中だった。
(48)松並木【14:55】
これから(53)まで、断続的だが松並木が続く。
旧東海道の中で、これだけ長い距離にわたって続く松並木
を見たのは初めてだ。

(49)東大山一里塚【15:06】

西側の馬頭観音。この後ろに一里塚がある。

東側の一里塚。

松並木の説明

(50)権七店【15:15】


(51)三方原救貧院跡【15:18】


(52)道標【15:20】
「姫街道車庫」というバス停の横


(53)松並木【15:46】
松並木の終点を示す(逆方向からは始点)。


(54)三方原追分【15:48】

後日調べたら、左側の石碑は明治37年に建てられ
「奥山半僧坊大権現へ三里廿九丁」と書かれ、
右側の石碑は慶応4年のもので、「右みやこだ
中かなさし 左きが 道」と書かれてあるそうだ。


本日はここまでとした。
休憩を含んだ歩行時間は4時間33分だった。
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