◆旧中山道_戸田-大宮 ― 2019年10月14日

2019年8月11日(日)晴れ

旧中山道の歩き旅二日目。

戸田から蕨(わらび)宿-浦和宿-大宮宿と歩いた。

休憩を含めた歩行時間は、合計4時間47分だった。

 前回の終了地点、川岸三丁目の交差点を、9時ちょうどに

スタート。

 (1)川岸三丁目交差点【9:00】

しばらく17号線を進んだあと脇道に入るが、その脇道

の角のミニパークに案内板があった。

 

(2)中山道の案内板【9:09】


(3)小堂【9:13】

国道沿いのマンションの立ち並ぶ駐車場の一角にあった。

扉が閉ざされていて中がよく見えない。

何を祀ったものなのか、後日調べたが不明。道祖神?

(4)蕨(わらび)宿の道標【9:20】

17号線から分岐する地点に建てられていた。

ここからが蕨市。

  

蕨市は市域面積が5.11平方キロメートルと全国一面積の

小さい市であり、人口密度が1平方キロメートルあたり

約1万4000人で、全国で最も人口密度が高い市とのこと。

  

また、地名の蕨は藁(わら)が燃えるさまの藁火に由来

しているとか。

(5)案内板【9:24】

中央ポケットパークというところに案内板があった。

(題名の「子供のころの 」って、誰の子供の頃??)


(6)木戸跡地【9:24】

前掲の案内板によると、ここには蕨宿の木戸(宿場の入口に

設けられた門)があったらしいが、特に何の案内板もない。

(7)蕨宿界隈史跡めぐり案内図【9:26】

郵便局の前に設置されていた。

(8)蕨市立歴史民俗資料館分館【9:56】

(9)玄番稲荷(げんばいなり)【9:30】


(10)道路上の道標【9:34】

(11) 蕨市立歴史民俗資料館【9:36】

(12)蕨本陣跡【9:37】




(13)宿場まつり記念(仙の鐘)【9:39】

どういう理由で(仙の鐘)が作られたのか、後日調べたが

不明。(ひょっとして(16)の「おしゃみの鐘」からか、

とも思ったが・・・)

(14)和楽備神社(わらびじんじゃ)【9:43】

室町時代に創建される。江戸時代に蕨宿が整備されると、

「蕨八幡」「上の宮」と呼ばれ、中の宮(宮田 氷川社)、

下の宮(荒井前 氷川社)と共に蕨宿三鎮守と呼ばれた。

 

明治末の神社合併の合祀後の神社名に土地名を冠すること

となり、「蕨」一文字では尊厳味がないとのことで、万葉

仮名から、和樂備神社と命名。

(15)蕨城跡・蕨城址公園【9:47】



(16)長泉院梵鐘(ちょうせんいんぼんしょう)

(おしゃみの鐘)【9:53】


(17)街道沿いの古い民家【10:01】

「薬」の看板がある。

(18)道路側溝の上の蓋【10:02】

(19)地蔵の小道の道標【10:02】

金亀山極楽寺(こんきさんごくらくじ)三学院への参道を

示しているもの。

(20)中山道ふれあい広場【10:06】


(21)道標【10:07】


 (22) 宝蔵寺【10:18】

(23)辻の一里塚跡【10:28】

日本橋から五里目。傍らに弁財天。


(24)焼米坂(やきごめさか)【10:54】

中山道を通る旅人に、炒った米を売る茶店が数件あり、

この焼米坂の名が定着したとのこと。


(25)関本屋【11:03】

大正五年頃の建物。店脇の「お助け井戸」は、関東大震災

や東京大空襲で逃げ延びた人々の、のどを潤したらしい。

(26)調(つき)神社【11:09】

地元では「つきのみや」と呼ばれ、鳥居のない神社として

有名。

狛犬ではなく兎が置かれているのも全国的に珍しいもの。



調(つき)は、租庸調(そようちょう)の調を意味する。

 

租庸調は律令制下での租税制度で、調は繊維製品の納入か、

代わりに地方特産品34品目または貨幣(調銭)による納入。

武蔵国の調物(みつぎもの)はこの神社に集められたとの

こと。

   

調物の搬入搬出のじゃまになるので鳥居がない。と書かれ

てあったが、クレーン等がない時代、荷車や牛車で運ぶの

であれば、鳥居があっても、さほど邪魔ではないようにも

思えるのだが・・?

    

 

 

(27)浦和宿の道標【11:15】

浦和宿は、江戸から近すぎたこともあって、通行者は休憩

が主で旅館が少なく、武蔵国に属する板橋宿から本庄宿

までの宿場町10箇所のうち、人口は8番目と少なかった。

(28)浦和駅【11:43】

いったん浦和駅に行き、そこで昼食。

 

駅前には「浦和うなこちゃん」の石像が。

これは「うなぎ」をPRするキャラクターとのこと。

  

ここを越えて上方(京側)へ向かうと、しばらくの間は

鰻(うなぎ)を食べる店が無くなってしまうので、ここ

で食べていく客が多く、うなぎの蒲焼発祥の地とも言わ

れてきた。

仕入れていたのは別所沼(現・さいたま市内)で獲れた鰻。

 

その浦和名物の鰻をPRするキャラクターとして、漫画家の

やなせたかし氏が作った。

(29)街灯のフラッグ【11:47】

中山道ではなく「サッカーの町浦和レッズ」のフラッグ。

(30)道標【11:53】

前掲の(27)と同じものだろうが、こちらはまったく読み

取れない。


 (31)浦和宿本陣跡【12:00】

街道から少し中に入った児童公園にあったのでちょっと

迷った。

明治天皇行在所(あんざいしょ)阯の石碑の横に建てられ

ている。


(32)市場通り【12:03】

下記の石碑によると、戦国時代から昭和時代まで、毎月

二・七の日に市場が開かれていたとのこと。

ただ「市場通り」という呼び方は、昭和55年に付けら

れたもの。


(33)浦和宿 二・七市場跡【12:04】

(34)笹岡稲荷神社【12:13】

(35)紅赤の発祥の地・説明板【12:29】

(36) 廓信寺(かくしんじ)【12:30】

慶長14年(1609年)に創設。浦和を代表する寺の一つ。

  

慶長5年には関ヶ原の戦い、慶長8年には徳川家康による

江戸幕府開幕、慶長19年~20年には大坂冬の陣・夏の陣が

あり、時代が大きく動いた時代に創設されたことになる。



(37)庚申塔【12:44】

正徳4年(1714年)建立。徳川家宣、家継が将軍の時代。

  

六本の手を持つ「青面金剛像(しょうめんこんごう)」の

下には踏みつけられた「邪鬼」があり、その下に「三猿」

が見られる。上辺の左右には「日月」もある。

像が掘られた庚申塔としては典型的なもの。

(38)一本杉の仇討ち跡【12:46】

幕末最後に起きた仇討として、語り継がれたとか。


(39)街角の風景【13:08】

しばらく街路樹が続く。

昭和42年の埼玉国体の際に整備されたケヤキ並木との

ことだが、旧街道の松並木のようで、何となく街道歩き

の雰囲気がある。


(40)鴻沼(こうぬま)用水と高台橋【13:13】

鴻沼(高沼)用水は八代将軍徳川吉宗時代に掘られたもの。

(41)火の玉不動尊・お女郎地蔵【13:14】

写真のように、歩道の真ん中にちょっと異様な雰囲気で

建っている。

  

裏に伝説と巷説というのが細かく書かれているが、細かく

て暗いのでよく読めないが、要約すると下記。

  

火の玉不動尊:人騒がせな火の玉を斬ったら、翌日高台橋

に石の不動様があったので祀った。

  

お女郎地蔵:高台橋から身を投げた女郎の供養に建てた。

(42)道標【13:16】


 (43)氷川神社 一の鳥居&一の鳥居広場【13:23】

大宮という地名は、氷川神社を「大いなる宮居」とあがめ

たことに由来するといわれ、大宮宿は氷川神社の門前町と

して発達。

当初は、この場所から氷川神社に行く参道が中山道だった。

寛永5年(1628)に中山道を西側に付け替え、集落も

現在地に移転させ宿場町として整備したとのこと。




(44)安藤橋碑【13:30】

あまりに小さいので最初は見落としてしまった。

すぐに引き返して、交差点角でやっと見つけた。

(45)加賀前田家屋敷門【13:31】

外観からはここだと思われるが、特に何も案内板はない。

表札は「㈲西橋商事」。

後日ネットで調べたが、地元の不動産屋というだけで

詳細不明。

(46)塩地蔵尊・子育地蔵尊案内板【13:32】

(47)塩地蔵尊・子育地蔵尊【13:34】


(48)脇本陣跡地【13:39】

脇本陣跡地だと思われる場所だが、何の表示も案内もなく、

詳細不明。

  

持参した案内書には、この場所以外にも本陣跡や高札場跡

の場所が書かれているが、該当の場所のどこにもそうした

掲示や案内は出ていなかったので、いささか不満が残った。

(49)涙橋跡【13:43】


(50)大宮駅東口入口交差点【13:47】

今回はここまでとした。

蕨宿も浦和宿も、宿駅制の定番史跡である本陣跡などの

掲示はちゃんとあり、それなりに旧街道歩きの感じがし

たが、大宮宿だけにはそうしたものが一切なかったのが、

ちょっと意外で残念だった。

  

  

本日の途中で見つけたマンホール蓋を以下に示す。

 

蕨市 

平成元年に市制施行30周年を記念して誕生したマスコット

キャラクター「わらじろう」が描かれたもの。

  

当初は「旅カラス」をモチーフにしたが、カラスは縁起が

悪いという横やりが入り、ハトがウインクしたものに変更

された。

 

「わらじろう」は、地名の蕨と旅人のワラジを引っ掛けた

ネーミング。

また、上部中央に表示されている「武州」とは「武蔵国」

の別称で、「武蔵国」は現在の東京都、埼玉県、神奈川県

の一部を指す。

蕨市 市の花「サツキ」を描いた汚水用。

蕨市の市章と外側に市の草花「ニチニチソウ」。

  

ちなみに、前掲の市の花「サツキ」は、市制20年を記念

して昭和54年11月3日に制定。

次掲の市の草花「ニチニチソウ」は、市制30年を記念し

て平成元年11月3日に制定。

旧浦和市

花は旧浦和市の花「サクラソウ」。中央はカタカナの

「ウラワ」をデザインした旧・浦和市の市章。


さいたま市

中央に「さいたま市」の市章。

上半分には市の木である「ケヤキ」、下右が市の花の木

である「サクラ」、下左にあるのは市の花「サクラソウ」。

2001年5月に浦和・大宮・与野の3市が合併して「さい

たま市」となった。

 

「ケヤキ」は旧・大宮の市の木、「サクラソウ」は旧・

浦和の市の花、「サクラ」は旧・与野(旧・大宮も)の

市の花である。

 

次も同様の組み合わせだが、デザインが異なる。

  

中央に「さいたま市」の市章。上に「サクラ」、左に

「サクラソウ」、右に「ケヤキ」。

さいたま市

サッカーボールのデザイン。

ボールが立体的に見えるようにラインを湾曲させている。

 

言うまでもなく、さいたま市には「浦和レッズ」と

「大宮アルディージャ」の2つのJリーグチームがある。

以上

 

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◆旧中山道_大宮-北本 ― 2019年10月26日

2019年10月6日(日)小雨

旧中山道の歩き旅三日目。

大宮宿-上尾宿-桶川宿と歩いた。

休憩を含めた歩行時間は、合計4時間50分だった。

 前回の終了地点、大宮駅東口入口交差点をスタート。

 (1) 大宮駅東口入口交差点【9:38】

しばらく県道164号線を進む。

駅近くには本陣跡が二ヵ所あるはずだが、道沿いには

何の掲示もなく詳細不明。

 

(2) 官幣大社(かんぺいたいしゃ)氷川神社 社標

【9:53】

ここを東方向(写真の左方向)に曲がると氷川神社。

  

氷川神社は、日本武尊が東征の折に先勝祈願した古社。

  

官幣大社とは旧社格の一つで、最も格式が高いもの。

出雲大社、宇佐神宮などが該当した。

  

ちなみに、社格とは神社の格・等級のことで、神社が

国家の管理下にあった時代に、神社の祭神、由緒、

一般の崇敬度、規模などにより、その待遇上の差を

つけた等級。(戦後に廃止)

(3)第2中仙道ガード【9:55】

JR東北本線と東武野田線の下をくぐる。

(4)馬頭観音【10:13】


(5)東大成の庚申塔(猿田彦大神)【10:19】



 (6)橋供養塔【10:30】 

舗装に下部を埋められた状態で路傍に立っていて、何の

説明板もない。

記された文字はほとんど読めないが、後日調べたら、

宝暦9年(1759年)の銘があるらしいので、260年

前に作られたものになる。

  

橋供養塔の建造の目的としては、流失した橋の供養や、

通行人の安全祈願、橋の建設工事の殉職者や溺死者の

供養等が考えられるが、他に、橋は村境のひとつでも

あり、村の外側から侵入してくる悪病、悪神などを

封じるために橋供養塔を建てたという、村を保守する

塞ノ神としての側面がある、という指摘もある。

 

埼玉県を中心とした関東地方に集中して分布しており、

埼玉県内だけでも300基が現存するとのこと。

(7)天満宮【10:39】

菅原道真を祭った天満宮というには、あまりに小さいの

でびっくり。

この付近が、加茂宮村の中心で、集落には、立場茶屋が

置かれ、その中で島屋と福島屋の二軒が有名で、島屋は

加賀前田家の参勤交代時の休憩所に使われた、とのこと。

(8)庚申塔【10:40】

元禄3年(1630年)建立。民家の塀の間。

(9)加茂神社【10:43】

(10)馬頭観音【10:48】

(11)宮原村道路元標【10:49】

(12)南方神社【11:01】

(13)不動堂【11:10】

上尾市の市境表示のすぐそば。

堂の前には魂霊神と書かれた石碑が。

(14)庚申塔【11:11】

(15)道標【11:12】

(16)横浜ゴム構内の祠【11:39】

何を祀ってあるのか不明だが、林立した小さな鳥居が

ちょっとめずらしい。

(17)道標【11:44】


 (18)庚申塔【11:47】

(19)愛宕神社【11:47】

(20)街道沿いの民家【11:51】

(21)道標【11:52】

(22) 氷川鍬神社(ひかわくわじんじゃ)【11:58】

鍬(くわ:土を掘り起こすための農具)二本をご神体と

して、本陣前に社を建立して祀ったのが創建の経緯。


(23)中山道上尾宿説明板【11:59】


(24)上尾宿説明板【12:01】

林本陣があった場所。


(25)上尾駅前の道標【12:02】

(26)道路上の道標【12:09】

(27)道標【12:12】

(28)庚申塔【12:13】

(29)平成の道標【12:18】

(30)道標【12:22】

途中で見つけた空き地【12:24】

どうってことのない光景なのだが、街道に面した一角の

土地一面に「ねこじゃらし」(エノコログサ)のみが群生

していて、ジブリの「猫の恩返し」の一場面を何となく

思い出していたので。

(31)道標【12:29】

(32)須田家【12:32】

特に案内板もないが、街道筋でもかなり目立つりっぱな

日本家屋。

 

時代劇がすぐにも撮影できそうな雰囲気がすばらしいが、

私有地なので中までは入れない。

 

須田家は武州紅花(ベニバナ)の仲買で財をなした旧家

とのこと。

須田家には紅花関係の古文書が400点ほどあり、市指定

有形文化財(古文書)となっている。



(33)道標【12:33】

(34)道標【12:41】


 (35)庚申供養塔【12:45】

(36)お地蔵さん【12:48】

詳細不明

(37)旧跡 木戸址【12:51】

(38)武村旅館【12:53】

明治天皇巡幸の供をした山岡鉄舟が宿泊。国有形文化財。

ちなみに、現在もビジネス旅館として営業中。



 (39)中山道ふれあい館【12:54】

(40)道標【12:55】

街灯のフラッグ

「べにばなの郷 桶川宿」と書かれてある。

  

江戸時代、べに花は「桶川臙脂(おけがわえんじ)」の名

で全国的に知られていた。

  

当時の取引価格は、田一反あたりの米収穫量およそ二両に

対し、べに花は倍の四両で取引され、桶川は紅花がもたら

す富によって大いに潤ったとのこと。

  

なお、描かれているのは桶川市マスコットキャラクター

「オケちゃん」で、べに花の妖精。

(41)島村家住宅土蔵(お助け蔵)【12:57】

(42) 島村老茶舗【12:58】

嘉永七年(1854年)創業。

近所には、後にお茶の研究でわが国初の女性農学博士に

なる辻村みちよ(後述:(48))一家が住んでいた。

(43)矢部家住宅【13:00】

趣のある建物だが、残念ながら建物自体は明治期のもの。

(44)小林家住宅主屋【13:01】

(45)桶川宿本陣遺構【13:01】

(46)中山道宿場館【13:02】

(47) 中山道桶川宿手洗い処【13:03】

(48)辻村みちよ顕彰碑【13:03】

前述の公衆トイレのすぐ前というロケーション。

(49) 市神社の跡【13:06】

ここにあった市神社(いちがみしゃ)は、明治になって

から、再開発の妨げになるとの事で、稲荷神社境内に

移転され、八雲神社に合祀されたとのこと。


 (50)大雲寺【13:07】

(51)一里塚跡【13:09】

歩道橋の柱に説明書きがあるのは初めて見た。

(52)木戸址【13:16】

(53)道標【13:17】

 (54)道標【13:17】

(55)二つ屋交差点【13:41】

(56)道標&本宿説明板【14:17】

(57)観音堂【14:19】

(58)多門寺【14:23】

(59)一級社天神社【14:24】

(60)北本駅前交差点【14:28】

本日はここまでとした。

  

桶川宿は、今までの中山道の宿場の中では、一番旧街道

らしい雰囲気が残っており、ちょっと安心した。

  

なお、日本橋から桶川宿までの距離は10里14町(約40.8

km)であり、当時の旅人が一日で歩く平均的な道程と

同じで、江戸から丸一日歩き通した旅人が、最初に宿を

求めるのがこの桶川であったと言われている。

(ちなみにこの距離はマラソンの距離とほぼ同じ。)

  

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<2021年4月22日 追記>

昨年のNHK大河ドラマの最終回でも出てきた秀吉の

「中国大返し」だが、調べると、備中高松城(岡山)

から山崎(京都)までの約220kmを8日間で移動

したという。

  

これを単純に計算すると1日27.5kmであり、当時

の旅人が1日で40km程度歩くのが普通だったという

ことからは、さほどの強行軍とは思えない。

 

むしろ、当時の進軍速度としては、常識的な歩行距離で

はないかと思われるのだがどうだろうか?

 

以前に見た「中国大返し」のドラマのシーンでは、兵士

たちが夜を徹して駆け足で移動していくような場面があ

ったが、そんな非現実的な移動ではなかったと思われる。

  

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<2021年6月10日 追記>

NHKの6月9日放送の「歴史探偵」という番組で

「中国大返し」がテーマになっていた。

そこでのポイントは二つ。

1.秀吉はその時点で既に制海権を握っていたので、

  通常は馬などで運ぶ武具などを船で海上輸送した。

2.信長が毛利攻めに視察に来る予定だったので、その時

  の信長の休憩所として、沿線に「御座所」を何箇所か

  準備させていた。

  大返しでの歩兵の移動時には、そこを休憩や宿泊の場

  所に利用した。

 

なかなか理にかなった説で、実験やシミュレーションも

されていておもしろかった。

  

ただ、歩兵自体の移動風景は、あいかわらず兵士が速足で

走り続ける動画が流されていたが、上記に示したように、

1日27.5kmは、通常の歩行速度で十分に移動可能

なので、そこは、再検討してもらいたいと思う。

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本日の途中で見つけたマンホール蓋を以下に示す。

 

さいたま市

中央に「さいたま市」の市章。上半分には市の木である

「ケヤキ」、下右が市の花の木である「サクラ」、

下左にあるのは市の花「サクラソウ」。

さいたま市

描かれているのは「彩の国キャンペーンマーク」。

これは、愛称「彩の国」の普及を図るために、平成五年に

選定されたもので、本来は三人。

三人が手を取り、肩を組み合い、楽しく元気に前へ進もう

としているイメージを表現しているとのこと。

さいたま市(旧大宮市)

旧大宮市の象徴,盆栽の絵柄。

旧大宮市内には盆栽町なる町名があり(現さいたま市

北区盆栽町)さいたま市大宮盆栽美術館などもある。

上尾市

市民の木「アオキ」をデザインしたもの。

上尾市

上尾市のイメージマーク「アッピー」を中央に、背景に

は市の花「ツツジ」が散りばめられている。

  

ちなみに「アッピー」の名称は、あげおの「ア」、上昇

や向上を意味する「アップ」、さらに幸せの「ハッピー」

を合わせたとのこと。

上尾市

「アッピー」が結婚して子供までいたというもの。

ゆるキャラの結婚は史上初らしい。

お相手は福島県本宮市の「まゆみちゃん」。

間に生まれた子供は「あゆみ」。

上尾市

あげお中山道大綱引き祭りを描いたもの。

市内6地区を6本の大綱にたとえ、東西3000人で

勇壮に引き合うものだったらしいが、現在は行われて

いない。

上尾市

市の木「カシ」をデザインしたもの。

桶川市

市民の花「ベニバナ」のデザイン。

かつての中山道桶川宿は、紅花の集散地として栄えていた。

北本市

デザインは市の木「サクラ」。

中央に漢字の「北本」を図案化した市章。

以上

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