◆旧中山道_北本-吹上 ― 2019年11月06日

2019年10月26日(土)曇り

旧中山道の歩き旅四日目。

北本-鴻巣宿-吹上と歩いた。

 

休憩を含めた歩行時間は、合計3時間4分だった。


 前回の終了地点、北本駅前交差点をスタート。

 (1) 北本駅前交差点【9:33】

駅前の脇道に入る。

 

(2)屋敷神(やしきがみ)【9:34】

祠が角に立っていたが、入口が街道ではなくて建物の方を

向いていたので、家や土地を守る存在としての屋敷神だと

思われる。

今まで時に気にしていなかったからかもしれないが、今日

はりっぱな屋敷神に何回も出会った。

元々多い地方なのだろか?

(3) 原馬室一里塚【9:41】

中山道の一里塚で現存しているのは三か所で、ここはその

中の一つ。他は東京都板橋区志村と高崎市上豊岡町。

  

板橋の一里塚は、道の両側に当時の雰囲気のままに大きな

木があったので、それと比較するといささか寂しい。



(4)屋敷神【9:43】

(5)馬頭観音【9:46】

文字がほとんど読めないので古いもののようだが、後日

調べたら、明治三年建立との事。

上に見えるのは、トタン製の雨除けのようだ。

(6)鴻巣宿 加宿 上谷新田 碑【10:01】

加宿とは、人家が少なく人馬を出しにくい宿駅で、隣村を

加えて人馬の供出に当てさせたもの。


 (7)街角のフラッグ【10:02】

(8)八幡神社【10:05】

(9)人形町の交差点【10:05】

いささか色褪せているが、雛人形町のフラッグも。

(10)鴻巣市産業観光館ひなの里【10:09】



(11)和菓子屋【10:10】

旧中山道的な趣のある店舗外観だが、創業は昭和27年。

埼玉県の木である欅(ケヤキ)をモチーフにしたあられ

「彩の欅年輪」が有名とか。

ちなみに、店名の「おおとり」は大形の鳥の総称で、

古くはコウノトリをさすそうです。

(12)道標【10:12】

(13)ひな人形店の看板【10:13】

古い日本家屋と真っ赤な看板のコントラストが目を引く。

(14)鴻巣御殿跡【10:23】

細い路地の奥の、民家の玄関前にあった。




(15)鴻巣本陣跡【10:27】

(16)コウノトリのタイル【10:30】

絵柄はコウノトリが赤ん坊を運んでくるという伝承からの

ものだと思われる、が、それはヨーロッパの伝承でしょう、

と思ったが、(19)の「鴻神社」は子授けのパワースポット

となっているらしい。

  

ちなみに、祈祷は雄と雌の2羽のコウノトリの神像の前で

行われる、とのこと。

  

なお、元々コウノトリは日本の広域に分布していたが、明

治以降は急激に減少し、現在、日本で繁殖・周年生息する

個体群は絶滅してしまったとのこと。非常に残念。

(17)法要寺【10:32】

(18)田沼家の蔵【10:36】

(19) 鴻神社(こうじんじゃ)【10:38】

鴻巣宿の鎮守。

コウノトリが飛んできて、災いをなす大蛇を撃退して、

人々の平和な生活を戻してくれたという伝説があること

から、諸々の災難除け、さらにコウノトリが神様の使い

として祀られていることから、子宝と安産祈願に訪れる

人も多いそうだ。



 (20)池元院【10:44】

(21)道標【10:45】

(22)馬頭観音【10:59】


 (23)箕田(みだ)観音堂【11:10】


(24)龍昌寺【11:40】

(25)氷川八幡神社【11:42】


(26)箕田碑【11:43】

(27)馬頭観音【11:46】


 (28)石塔群【11:51】

(29)道標【11:55】

(30)地蔵堂&庚申塔【11:56】


(31)石塔【12:00】

(32)庚申塔【12:01】

(33)街道風景【12:04】

(34)前砂村標石【12:10】

(35)前砂の一里塚跡【12:12】



 (36)忍領界石票(おしはん りょうかいせきひょう)

【12:17】

完全に民家の塀の中なので、ちょっと中の方まで入るのは

憚られた。

よって、写真は道路沿いからズームで撮ったもの。

  

写真の案内板の上半分が高札場に関して、下半分が忍領界

石票に関して書かれてあり、この案内板の向かい側に石票

そのものがあるらしい。

(37)道標【12:18】

(38)道標【12:29】

(39)手作りの案内表示【12:29】

(40)妙徳地蔵尊【12:30】


(41)吹上駅前【12:37】

今回はここまでとした。

 

  

今回目にしたマンホールの蓋を以下に示す。

    

鴻巣市

周囲は市の花「パンジー」中心に市章。

鴻巣市

市の花「パンジー」を描いたもの。

鴻巣はコウノトリのデザインかと思っていたが、そうでは

ないようだ。

   

 旧吹上町(ふきあげまち)

町の花コスモスのデザイン。

  

以上

  

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◆旧姫街道_西気賀-追分 ― 2019年11月15日

2019年10月30日(水)晴れ

旧東海道の脇街道(脇往還)である姫街道(本坂通)を

歩いた。

今日は四日目。西気賀から、気賀宿を通って追分

(浜松方面との分岐点)まで歩いた。


 (1) 姫街道表示のある交差点【11:15】

前回の終了地点を11:15に出発。

(2)薬師堂【11:56】


道標【11:57】

しばらく山中の道を進む。



(3) 地蔵堂&小引佐(こいなさ)【12:04】



 小引佐からの眺め

ここからアスファルトの道に出る。

   

(4)清水みのる詩碑【12:06】

(5)巨人伝説の池「ダイダラボッチの足跡」【12:11】


鯉がたくさん寄ってきた。人慣れしているようだ。

(6)道標【12:11】

ここから再び狭い道を進む。

(7)山田の一里塚跡【12:13】


(8)堀川城戦死者の碑【12:15】

(9)山村修理の墓(修理殿の松)【12:15】



(10)道標【12:18】

途中で出会ったなつかしい車。

初代の「三菱・ミニカ」だと思われるが、だとすると、

50年以上も前のものという事になる。まだ現役らしい。

(11)道標【12:20】


 (12)二宮神社【12:23】

姫街道側は神社の裏側になっていて、反対側が入口だった。

次の写真は姫街道側の案内板。

二宮神社自体はさほど大きな建物ではない。



(13)道祖神&石碑【12:29】

写真右側の自然石が道祖神とのことで、姫街道と金地院道

との分岐点に建てられていたが、少し移動されたとか。

左側の錆びたトタン屋根の被せられた碑には「南無妙法蓮

華経」と書かれてあるそうだ。

(14)道標【12:30】

正面には「是金地院五丁」左には「左三ヶ日往還」と

刻まれている。

(15)呉石学校跡【12:32】

(16)カーブミラー【12:35】

御姫様マークが場違いに目立つが、やや色褪せていた。

(17)諏訪神社【12:39】

民家庭先の桜草(?)とモミジ。

(18)道標【12:43】

(19)獄門畷(ごくもんなわて)【12:44】


(20)西桝形&常夜灯【12:46】


 (21)本陣前公園【12:48】

何もない公園で、ちょっとがっかりさせられた。

   

(22)馬頭観音【12:49】


(23)正名寺【12:49】

(24)気賀宿本陣之址の石碑【12:49】

(25)気賀宿本陣中村家跡【12:52】


(26)気賀駅【12:55】


(27)気賀関所【12:59】

「跡」が付いていないのは、ここが「細江町ふるさと創生

事業」として復元された観光施設であって、実際の関所跡

ではないから。

無論、当時の雰囲気は十分に感じられるので意味はあるが。

  

ちなみに、実際の施設は、(31)気賀関趾の場所に、ほぼ

そのままの形で明治時代まで残っていたそうだが、その後

解体されてしまった。





 (28)細江神社【13:15】


(29)藺草(いぐさ)神社【13:18】

細江神社の境内にある。

宝永4年(1707年)の大地震・大津波で、浜名湖沿岸の

田は塩水に浸かり、稲は壊滅的な被害を受けた。

時の領主『近藤用随(こんどう もちゆき)』はその

窮地を救うべく、塩に強い作物と聞きつけた琉球藺

(りゅうきゅうい)を領内持ち込み、藺草(いぐさ)

栽培を奨励。その後、琉球藺は周辺の各村に広がり、

藺草を使った畳表(たたみおもて)の製織はこの地方を

潤したとのこと。




(30)吉野屋【13:18】

割烹料理店。ここの敷地は関所から地続きであり、当地を

治めた旗本気賀近藤家の陣屋跡の最奥にあたる一角で、

池のある庭は当時の遺構であるという。

  

現状の建造物群は、昭和初期から中期にかけて、板前から

旅館を創業した野島勘作が施主となったものであり、勘作

の長男で日本画家の野島青茲(1915(大正4)年-1971

(昭和46)年)の生家でもある。

  

中を見たかったが、見学のみの公開はしていないとのこと。

(31)史跡気賀関趾&説明板【13:23】


 (32)道標【13:24】

(33)落合橋【13:46】

(34)金襴の池【13:51】

(35)刑部城跡【13:55】



(36)新谷の宗安寺【14:00】


(37)道標【14:01】

「この先行き止まり」が少し不安にさせたが、ちゃんと

通れた。

街道の様子。

道標はないが、右側の山道を進む。

(38)服部小平太最後の地【14:07】


(39)配水タンク【14:09】

姫様道中という文字がうっすらと見える。

(40)老ヶ谷の一里塚と長坂【14:09】


(41)道標【14:09】

(42)千日堂【14:16】

普通の、しかも歴史的とはとても思えないような、一般

民家なのが意外だった。


(43)老ヶ谷の秋葉山常夜灯【14:19】




 (44)道標【14:30】

(45)六地蔵【14:31】


(46)郵便局【14:39】

旧街道風の建物となっている。

街角の柿の木【14:42】

(47)曲がり松【14:45】


ちょうど剪定作業中だった。

(48)松並木【14:55】

これから(53)まで、断続的だが松並木が続く。

旧東海道の中で、これだけ長い距離にわたって続く松並木

を見たのは初めてだ。

(49)東大山一里塚【15:06】

西側の馬頭観音。この後ろに一里塚がある。

東側の一里塚。

松並木の説明

(50)権七店【15:15】

(51)三方原救貧院跡【15:18】

(52)道標【15:20】

「姫街道車庫」というバス停の横

(53)松並木【15:46】

松並木の終点を示す(逆方向からは始点)。

(54)三方原追分【15:48】

後日調べたら、左側の石碑は明治37年に建てられ

「奥山半僧坊大権現へ三里廿九丁」と書かれ、

右側の石碑は慶応4年のもので、「右みやこだ 

中かなさし 左きが 道」と書かれてあるそうだ。

本日はここまでとした。

休憩を含んだ歩行時間は4時間33分だった。

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◆旧姫街道_追分-磐田 ― 2019年11月19日

2019年10月31日(木)晴れ

旧東海道の脇街道(脇往還)である姫街道(本坂通)を

歩いた。今日は五日目で最終日。

追分から見付宿(磐田)の分岐点まで歩いた。


 (54) 元追分の交差点【8:38】

前回の終了地点を8:38に出発。

(55)追分一里塚【8:46】


(56)道標【9:01】

(57)最古の道標【9:02】



 (58)宇藤坂【9:08】

(59)五枚橋【9:12】

(60)半僧坊道の道標【9:13】

半僧坊とは奥山半僧坊大権現(おくやまはんそうぼう

だいごんげん)のことで、方広寺の鎮守さま。

方広寺(方廣寺ほうこうじ)は、浜松市北区引佐町奥山に

ある臨済宗方広寺派の大本山で、通称、奥山半僧坊。

よって、半僧坊道とは方広寺への道のこと。

(61)半僧坊里程石【9:14】

明治14年の山林大火のとき、半僧坊真殿が焼け残った

ことから、半僧坊信仰が始まり、浜松や磐田からの参道

に立てられたのが半僧坊里程石とのこと。

つまりこれらの石は明治14年以降に作られたもの。

(62)道標【9:15】

(63)馬乗り場跡【9:15】

どういう歴史的な意味合いのものなのか、後日調べたが

不明。

(64)半僧坊里程石【9:15】


(65)道標【9:18】

(66)旧秋葉街道分岐点道標【9:24】

木に埋もれていて、うっかり見落としそうだった。

この道標を改めて作り直したものと思われるものが

道の反対側にあった。

(67)道標【9:24】

(68)大養禪院(秋葉常夜燈)【9:32】




 (69)道標【9:37】

(70)長福寺(北堂和尚墓)【9:41】



(71)道標【9:49】

(72)熊野神社【10:16】

(73)市野宿説明板【10:19】


 (74)道標【10:23】

(75)半僧坊道の道標【10:23】


(76)小堂【10:27】

地蔵仏?詳細不明。

(77)道標【10:33】

(78)常夜灯【10:37】

(79) 半僧坊里程石【10:40】

(80)道標【10:50】

(81)道標【10:54】

(82)了願公園(安間家跡)【10:57】

安間家は、安間新田村の名主を務め、街道の整備などにも

関わっていたとのこと。



 (83)道標【11:04】

(84)道標【11:04】

(85)本坂通(姫街道)安間起点【11:05】

ここからしばらくは、姫街道と東海道が重複する。

よって、道標も東海道と記されている区間がある。


(86)金原明善生家【11:07】

金原明善は天竜川治水事業に尽力した人物とのこと。

建物は江戸後期のもの。


江戸時代の建物がこんなに綺麗に残っているというのは

ちょっとした驚き。

  

(87)東海道松並木跡【11:08】


(88)松林禅寺【11:10】


(89)かやんば高札場跡【11:10】

(90)東橋跡【11:15】


(91)天竜川橋紀功碑【11:17】


(前の黄色いものはゴミ収集用ネット。

 史跡の前がゴミの収集場所というのは他でも見られたし、

 地域の事情なのだろうから、部外者からは何も言えない

 のだが・・!( ̄- ̄)・・)

  

(92)道標【11:18】


 (93)横町通り説明板【11:19】

新天竜川橋【11:25】

写真右側は旧国道1号線の天竜川橋。


 (94)天竜川渡船場跡【11:48】

(95)常夜灯【11:49】

(96)道標【11:55】

(97)天白神社【11:55】


(98)池田𣘺の跡【12:00】






 (99)常夜灯&祠【12:03】

(100)歴史風景館【12:05】

(101)行興寺【12:07】






 (102)中若連山車蔵【12:45】

(103)上新屋ポケットパーク【13:05】


(104)常夜灯【13:07】

(105)道標【13:10】

見付宿から池田にかけては「池田近道」と呼ばれた。

(106)道標【13:40】

(107)一言坂戦跡【13:41】

(108)一言坂戦跡【13:42】

一言坂の戦い(ひとことざかのたたかい)は、元亀3年

(1572年)10月13日に、遠江国二俣城をめぐり、武田

信玄と徳川家康の間で行われた戦い。家康の退却戦。

 

(109)秋葉常夜灯(立場跡)【13:50】

(110)かぶと塚公園【13:59】

(111)一本松の石碑【14:01】

どういう意味合いの石碑なのか、後日調べたが不明。

(112)秋葉山常夜灯【14:06】

(113)姫街道分岐点表示【14:07】

旧東海道との分岐点。

この地点は、2018年11月1日に旧東海道を歩いた時

に通った場所。

ここまでで、姫街道全経路の踏破を完了した。

  

本日の歩行時間は、休憩も含めて5時間29分だった。

  

五日間をまとめると、下記となった。

 一日目 4時間57分

 二日目 4時間28分

 三日目 3時間06分

 四日目 4時間33分

 五日目 5時間29分

 合計 22時間33分

  

旧東海道に比べて、全般に本陣跡や問屋場跡などの史跡

の整備は整っておらず、その点は少し不満が残るが、

旧街道的な雰囲気を感じられる個所もそれなりにあった。

  

また、思っていた以上に山間部を歩く部分が多かったが、

その山間部では、比較的道標が多く設置されていて、道

に迷うことはほとんどなかった。

   

以下に、四日目と五日目で見つけたマンホールの蓋を

まとめて示す。

  

浜松市旧細江町

町の花「ソメイヨシノ」と、同町中川悪ヶ谷で出土した

「袈裟襷紋銅鐸(けさだすきもんどうたく)」

前項のカラー版

磐田市

熊野(ゆや)の長藤をデザインしたもの。

磐田市

Jリーグ・ジュビロ磐田のマスコット、ジュビロくんが

描かれている。

なお、ジュビロくんは静岡県の県鳥「サンコウチョウ」

が元になっているとのこと。

磐田市

磐田市イメージキャラクターの「しっぺい」がサッカー

ボールを蹴っているカラーシールデザイン。

「しっぺい」は、市内に伝わる霊犬伝説「悉平太郎

(しっぺいたろう)」をモチーフしたキャラクター。

以上

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